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人はマウントを取りたがる時、瞬間的にケセランパサランを生み出している

26年間生きてきてなんとなく気になっていた存在、ケセランパサラン

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ケセランパサランは、いわゆるUMA(未確認生物)で、見た人は幸せになれるとか、おしろいを食べて成長するだとか、かわいい外見からスピリチュアル業界が目をつけたりしている、あげつらえばつらうほど胡散臭い綿毛です。しかしネーミングが独特で、つい声に出したくなる。ケセランパサラン。ぱいぱいでか美さんみたいな感じでしょうか。とりあえず覚えてもらえれば勝ち!みたいな大胆さは見習うべきところがありますよね。わたしもがみにゃんとかほざいてるし。仲間じゃんね、ウチら。

 

今日なんでこんな話をしたかというと、わたし実は見たんです。ケセランパサランを。

 

もちろん証拠なんてないんですけど、全ては"気がする"の延長線上だと思うし、最終的にはみんなっピがどう思ってくれるかだよね、そこは。でもアタイは書くよ。だってアタイ今ワクワクしてるもん。わたしの過去の記憶の中に、確かにいた気がするし、なんならその出会いがめちゃくちゃ滑稽だったから共有したいもん。その内、このかわかわ産毛をペットとかにできたら最高だよね。テレパシーとかで通じ合ってさ、森の中をヘイ!とかいって導いてくれたりさ。そういうことしたいよね、ケセランパサラン。あと今後は長いのでケセパって略します。

 

私の過去にある、ケセパが発生したと思わしき出来事は2回。わずかな記憶をたどります。取材班は記憶を司る海馬へと向かった。

 

-20XX年 北陸の某所-

最初の記憶は、わたしがまだ大学生だった頃。季節は冬。大学生活には慣れていて、まだ就活の騒がしさとかも無かったので、比較的ゆっくりとしてられる時期でした。わたしの大学は県外出身者が大半を占めていて、学校の近くに家を借りる人が多い。友人たちの家はほとんど徒歩圏内にあるせいか、頻繁に謎の会合が行われていた。「宅飲み」「たこパ」「鍋パ」…これらは全て「家に集まってオールでダラダラしようぜ」を指す隠語。かくいう私も、その頃は食事や情事よりなにより、ダラダラすることが好きでした。ただ健全な学校だったためか合コンは全く存在せず、常に他大学からは一歩分距離を置かれていました。元刑務所の跡地を利用した校舎は、もはや修復不可能なほどボロボロで、陰の氣やばい。夜とか普通にお化け出そうな感じ。でも変質者はでない。学生の方が変だから。ようするに周囲からは白い目で見られていたんですけど、狭い場所の方が心地がいい生き物は一定数いるらしく(わたしのことです)、小さい学校ながらヨイショヨイショ、やいのやいのやっていた。

 

だから、油断したのだ。

 

その日は突然でした。その頃わたしは高校までの暗黒時代を払拭しようと奮起していました。涙ぐましい健闘の末、偶然他専攻にいるゲイの存在をキャッチし、それなりに仲良くすることができました。飲みに誘われるようにもなり、話も深まれば当然、会合の合図も出るというもの。

 

「今日、工芸の○○の家で鍋するけど、くる?」

 

二つ返事でOKした。工芸の○○とやらのことは全然知らなかったんですけど、どうやらゲイの人らしい。でも当時のわたしにはその情報だけで充分で、二十歳そこそこだし、ゲイと知り合えるってだけでハッピぽよだし、正直シャイニー側になれそう…と邪な気持ちもあった。※シャイニーとは、シャイニーゲイのこと。数年前にゲイのパワーワードとして流行り、すぐ廃れた。かつてのリア充と同義。

 

仮に、家ボーイのことは工芸くんとします。

 

工芸くんの家についた時には、もう鍋とかは用意されていました。部屋の中はやや閑散とはしているものの、不潔というわけでもなく、必要な家具は全て揃っている様子。中央にコタツがあって、具材などは調達済みだったため、私はただちょこんと座り、最後に財布を開けばいい感じでした。さすがに忍びなくて、スーパーで買ったつまみを持ち寄り少しでも場が盛り上がるようトークしなきゃ〜となぜか焦ったりしてました。未だに、初対面の人がゲイだと緊張する。ふとしたことからゲイ雑誌の話になり、わたしがゲイ雑誌は読んだことがないというと、工芸くんがおもむろに押入れを開けてくれた。そこにはたくさんのG-menが入っていました。気になる方は検索してね。

 

わたし、以前からガチムチの人ってなんらかの実みたいだなって思ってる。それが集団となると、果実感はより強まる。アジア圏の、よくわからない果物が陳列されて背の低い店が立ち並ぶ路地。人で賑わい、湿度であたりがむせ返る。声や車がはしる音が反響する。そうやって、南国の風土は出来上がっていく。ふと遠くに、スラっとした人影が起き上がるのがみえた。よくみると美女だ。褐色の肌をしてる。涼しげな目で彼女は微笑んだ。顔が崩れるのを恐れてか、口元だけ笑っているのが印象的な彼女は、私がぼうぜんとしてるのなんて気にも止めずに、ガチムチの男たちと笑いながら去っていく。ごろんとした巨峰にその後ろ姿が映り込み、フルーツの芳香が鼻腔をくすぐる。ここはうつつでしょうか。ガチムチの集団をみた時、いつも謎のアジアン美女がこっちを振り向くのだ。ガチムチの浅黒い肌は艶があり、独特のシズル感を放っている。食べものっぽい。エッチと食事は似てるんじゃないか。

 

大量のG-menに面食らいつつも、興味津々で中を覗かせてもらいました。グラビアや、コラム。パンツの読者プレゼントなんかもある。その中に漫画コーナーがあるのを見つけて、ちょっと喜んだ。わたしはゲイ作家の漫画が好き。中学生くらいからひそかにチェックしていて、R18の規則を破った回数は計り知れない。自分でエッチな男性の絵も描いていたし、ネットに投稿もしていた。日常にはほとんどみられない、胸筋のもりあがり。太ももなんて丸太のよう。それらは思春期の小僧には刺激的で、とことん魅力的に映りました。当然G-menも知っていたし、そこにどんな作家が漫画を載せているかも知っている。なのでつい、聞いてしまったんですよね。

 

「工芸くんってこういう漫画で好きな作者とかいる?」

「あ、自分漫画は読まないから。」

 

あっけにとられて、1秒くらい固まった。即答すぎて、内心おしっこ漏れそうだった。えっ、読まない?どゆこと?えっ、だって君これ買ってるんだよね、読まない理由とかある?えっ、勿体無いし全部読むんじゃないの、読まない理由ないじゃん。おもしろくない奴は読まないとかじゃなくて、漫画自体読まないの?えっ意味わかんないこわい、やだやだやだやだやだ

 

脳裏にそんな言葉がよぎったけど、声に出せるはずもなく、そうなんだ〜みたいな感じでその話は終わりました。しかし、わたしはその後家に帰るまでずっっっと悶々とするハメに。なぜ、彼は漫画を読まないと言い張ったのか。理由はいくつか推測できる。

 

・彼は純粋にグラビア写真集のつもりで買っていたから。

なるほど。目的が写真なら、理屈はわかります。わたしも宇垣美里の顔だけチェックして、エッセイは読んだことないからだ。しかし、納得できない。ジャンル問わずどんなものにだっておもしろは存在しているし、少しくらい読めばいいじゃないか。わたしだって宇垣のエッセイ本棚にあったら手に取るもん。少しは読んでいるのなら、あんなに断定的に言う必要がない。あの発言にはもう少し、裏の心理が読み取れそうだった。

 

・そこに載ってる漫画がマジで面白くなかったから。

これも、理屈としてはわかります。わたしはエロ漫画にしっかりとしたストーリーを求めるのはお門違いだと思っているけど、あまりにもエロばかりだと食傷起こすし、そういう意味で工芸くんはすごくピュアな人だったのかもしれない。現在のゲイ漫画の世界はニッチで、ポルノ性がどんなテーマでも食い込んでくる下ネタ全開の世界なのだ。それが売れるから仕方ないんだけど、サブカル・ハートを持っているみんななら、そういう状況を寂しく思うのは想像がつくよね。エロいのはいいことだけど、もう少しカウンターカルチャーが欲しいよね。うんうん、なんとなく真実に近づいてきた気がする。しかしまだなにか足りない。

 

・わたし(がみにゃん)のことがいけ好かなかったから。

これだ!!!!!!!!、!!!!!これが一番しっくりくる。工芸くんを一目見たときから、そんな予感はしていた。なぜならその頃のわたしはかなりガリガリで、そのくせ自己主張だけは一丁前にするやつだったからだ。わたしはガチムチ好きやオネエの方によく思われないことが多い。お会いすると必ず、ネチッとしたコメントを頂く。たぶんなんかムカついたのだろう。そう思ったらあのとき、工芸くんが漫画見てないと言い張った気持ちは納得できる。だって、漫画はみんなみるじゃん!

 

考えれば考えるほど、あれはマウンティングだったのだなと思う。マウントは性別、種族に限らずどこにでも見られる現象だし、そもそも生物は進化していく過程で自らを強い個体だと主張する必要がある。それで傷つくこともあるけど、地球にうまれてしまった私たちにはどうしようもない。痛みや絶望だって仕組みの一部でしかなく、そこで立ち止まらずにそれぞれが強く生きていくしかないんだ。どうでもいいけどiphoneの地球の絵文字って🌏🌍🌎もあるんだ、かわいい

 

これがなんでケセパに繋がるんだよ!とお怒りかもしれませんが、話はまだ続きます。

 

-2019年 新宿二丁目の某所-

時間を進めて一気に現在。そうこれは、つい最近私が体験した出来事です。わたしはもっぱら1人で二丁目に行くんだけど(なぜなら行く友達がいないから)、顔を出していくうちに、行きつけとまではいかないがそれなりに居心地のいいバーがいくつか出来てくる。その内の一軒で、事は起きた。

 

その日は土曜だったからか人が多く、立って飲む人がいるくらいの盛況ぶり。飲み屋が不景気という話はどこへいったのだろう。私は真ん中くらいの席に座っていました。すると、隣の初老男性が声を掛けてきた。話を聞くにそこそこの金持ちらしく、その顔には幸福のオーラがツヤツヤとでていた。やりとりの中でふと、最近の文化の話になった。年長者との間でジェネレーションギャップを感じる事は、わたしもよくある。昭和の歌はわからないし、そんなにいいとも思えない。同じ時を生きているアーティストの歌詞の方が共感できる。でも年長者だって、過去にはそれなりのジュブナイルがあっただろうし、自分の好きなものはいつだって共感してもらいたいもの。そんなわけでおじさんは、わたしに趣味の話を持ちかけてきました。

 

「君は、趣味はないのかい?」

「あっ、ありますよ。本を読むの好きで、この前は綿矢りさのコレに超感動しました。」

「ほう、芥川賞の人だよね。」

「そうです!最近になって読み始めて、もうヤバかった。あとは映画も見ます。主に邦画だけど。音楽も色々聞いてて、king gnuの井口がマジでかわいいの。こんなん。かわいいでしょ?こういう男性から影響受けて、男性の絵も描いたりしてる。」

「うんうん」

「あとゲームするのもめっちゃ好きで、最近はスマホのコレとか〜」

「いや、俺はゲームはしないんだけどね。」

 

見逃さなかった。ゲームという言葉が出た瞬間、身を少し反らして左上を向いた男性の口がへの字に曲がっていたことを。てか、聞いてない。わたしゲームしますか?なんて聞いてない。なのにおじさんは、ゲームという単語に反射的に防御姿勢をとったのだ。ガイルかよ。この感じ、工芸くんの時と同じ。二人とも、わたしはそういうのはしない!と言い張ったあと少しだけ満悦な顔をしている。たしかに、おじさんの育ってきた環境にゲームは存在しなかったかもしれないが、やってみてもいいじゃん。それも文化の一つじゃん。なぜゲームのときだけそんなに素早くポーズをとるのだ。それだったらking gnuの時点で反応しろよ!

 

間を空けての返事であればここまでの分析はしなかっただろう。二人とも反射的に、漫画とゲームだけにNOを突きつけた。漫画とゲーム。なぜその二つなのかは考えることもできるけど、怒り出す人がいそうなので止そう。問題は、その二人がそのマウントを取ったときに顔周辺にうっすらと光るなにかが見えたことです。

 

人が悦に浸るとき、なんとなくぽかぽかオーラが出ているのを感じませんか。少女漫画でいうと、○に斜線が少しついたマークが背景にたくさん浮いている、アレ。アレが見えた。よくみるとうっすら、産毛が生えているようにも見える。この妖精みたいなほんのりピンクがかったものは一体…。勘のいいみんなはもうお分かりだよね。謎の生物たちに魅了され、昼夜問わず必死にその正体を悩みあぐねいていたかつてのUMAマニアの皆様には本当に申し訳ないと思うけど、ついに突き止めてしまいました。そう、ケセパとは、人がご満悦時に放出する幸せエネルギーのことだったのだ!!!(な、なんだってー)

 

冷静に考えたら服の繊維とかなんでしょうけど、でもほんとにその時は光って見えたんです。ほわ〜っとケセパに包まれた二人は、フッとなにかを鼻で笑うニヒルなイケメンキャラみたいな顔をしていて、すごく嬉しそうだった。ケセパがなぜ掴もうとしても掴ませてくれないもどかしい存在なのか、今なら少しわかる。幸せとはそういうものだから。手に入れたときは見えにくくて、失うとはっきりわかるもの。ふふ、なんだか人生みたいだよね。

 

まとめに入ります。

 

--"ケセパとは、人が幸福を感じたときに周囲に発生するエネルギーのこと。それをみたものに幸福感をもたらす存在である。ときにセンチメンタルな過去を思い出させてくれる彼らは、きみたちの周囲にいつの間にか生まれているかもしれない。よく観察してみてほしい。ケセパを見つけるために大事なこと。それは、いくつになっても好奇心という名の小さな明かりを、心に抱いて決して消さないことだよ。"--

 

一番の謎は、わたしがこの記事を丸々2日かけて書いている事実です。なにやってるんだろう