がみにっき

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就活失敗したゲイだけど死なずに生きてる 5

東京から戻った私は、しばらくの間放心状態だった。頭の中であの日の出来事を反芻する。たった2日の出来事とは思えないくらい、自分の中で何かが変化したのは感じた。しかし、それがなにかはよくわからない。夏休みが終わってクラスの馬鹿騒ぎが聞こえてきても、以前ほど苛つかない。林くんや藤岡とすれ違うたび、小さく笑む。

 

「こいつら、まだ童貞なんだな。」

 

そう思うと2人のマイペースぶりも、なんだかかわいいものに思えてくる。

 

しかし、そんな余裕はすぐ失せた。塩水を飲んだみたいに心が渇く。私はずっとセックス出来てないから焦ってるのだと思ってた。ゲイの人とリアルで触れ合えば、この苛立ちは治るのだと。だからわざわざ東京までいってあんなことしたのだ、それなのに。

 

私はその後もインターネットに没入した。

 

当時、Twitterは出来たばかりのサービスだった。フォロワーは1000人いたら大御所。mixiの方がコミュニティとしては大きかったが、紹介制だったので私は入れなかった。アカウントがなくても見られるTwitterは、覗き見にはうってつけのサービスだった。

 

誰かとつながっている感覚が手軽に味わえるので、既にケモナーたちも始めているようだった。そこには絵描きとフォロワーのやりとりが溢れかえってる。

 

いずれも取るに足らないものだった。褒め合い、謙遜、合図以上の意味を持たない短文、それらをヒエラルキーで無理やり整列させたような、ぎこちなさ。教師がいない時の教室の風景に似ている。会話というよりは動物が生存の為に音を出しているのに近い。

 

くだらないが、当時は羨ましく思った。なんでこういう奴らに取り巻きが多くて、私にはいないんだ?

 

Twitterをチェックするたび、爪を噛む。短くなった爪先分、指の皮が余る。そこを思い切り齧って、毟り取る。綺麗に皮が禿げるとピンク色の真皮が現れるので、机に押し付ける。耐えられるギリギリまで押し潰すと、痛くて涙が出る。剥き跡にわざと熱いシャワーを掛けたり、腕を振ったりして刺激を楽しむ。そんなことを全部の爪がボロボロになるまで続けた。

 

咬爪症なのはわかっていた。この癖は小学生から現在まで続いていて、両手全ての爪は元々の長さの半分以下になってしまった。私の白半月は柔らかく、伸ばしてもすぐにヒビが入ってしまう。そうなると気になって、また噛んで形を整えようとする。噛みちぎった跡が綺麗になるはずもなく、不揃いな部分が無くなるまで噛み、最終的には丸い赤ん坊のような指先が出来上がる。誰かに見られると恥ずかしいので、手元はなるべく隠して生活していた。

 

だが母には隠せるはずもなく、見つかる度に怒られた。

 

「なんで噛むの。ばい菌入って汚いんだよ。周りからも良く思われないよ。せっかく綺麗な手してるのに、もったいないでしょ。いつ辞める?今日辞めるよね?次見つけたら許さないからね。次見つけたら、本気で怒るからね。」

 

なんで噛むのかは自分でも分からなかった。こういう時の母は、なにを言ってもダメだ。言うことを聞かないと手をつねられるので、痛いのは嫌だったからとりあえず謝った。

 

自分の意思で辞めるのは無理と思って、小学生の時に一度だけ言い返したことがある。その時の母の形相は忘れられない。

 

「私が間違ってるって言うの?」

 

四白眼で詰め寄られ、罵倒されて、目の前で泣かれる。怖くて私が泣くと、なんで泣くのと怒鳴られる。言葉はめちゃくちゃで理解できないが、とにかく私が悪いのだ。そう思って謝るも、責められる。爪が汚い私はダメ。治せないのは私のせい。世間に後ろ指さされるようなことは、してはいけないのだ。

 

小一時間ほど無抵抗の姿勢を見せると、ようやく解放される。その後は嘘みたいに優しく抱きしめられ、ごめんね、と頭を撫でられた。

 

私のために怒ってくれてるのだから、感謝しないといけない。私は生かしてもらってるのだ。いつかこの恩は返さないといけない。返済にいくら必要なのか考えるだけで気が滅入るが、そうしないと大人になったときに家族に顔向けできないと思っていた。

 

どこから知ったのかは忘れたが、2ちゃんねるにはケモナー専用のスレがある。Twitterと並行して、そちらも覗くようになっていた。

 

そこは殆どヲチスレと化してて、有名どころの絵描きは大体悪口を書かれている。普段は静かだが、絵描きの噂が出ればたちまち潜んでいた輩が野次をとばす。

 

「誰かもっと新鮮なネタ落とせよ。こんな小物じゃつまんねえんだよ。」

 

新たなスターを求める声。煽情的に、絵描きを画力や人気別でまとめたランキングが貼られる。燃料が投下されて、観衆は湧き上がる。

 

「こいつ、もっと下だろ。」

「いや、上だろう。」

 

国会に似ていた。下劣だが、低俗な遊びほど人間の本能をくすぐる。みなランキングを独自に修正し、No. 1を格付けする。しかし、どの表にも私の名前は載っていない。なぜこんなに描いているのに話題にしてくれないんだ。私の絵は、表に載ってる絵描き達と同じくらい人気があるのに、なんで。

 

もっと上手くないと駄目なのか?

 

そう思った私は、技術をひけらかすような絵を描くようになった。一目見て上手いと気づかれるように、描き込みをこだわる。見栄えを良くするために、人気のない絵は消す。評価が増えると一旦は満足するが、すぐに物足りなくなる。何度も自分の絵の悪いところを探した。そうしたサイクルを重ねるうちに、数字はどんどん増えていく。

 

その内、pixivのデイリーランキングを狙えば取れるようになった。今となっては珍しくもないが、当時ケモノ絵はR-18がほとんどで、一般ランキングに食い込むのは珍しいことだった。幼い女のサムネイルに、一枚だけケモノ絵がある。かなり異質だが、やってることはノンケと同じなんだからとやかく言われる筋合いはない。

 

我ながら快挙じゃないか。反応を見たくてスレを覗いたが、私の名前は全く話題にされていなかった。

 

なんで。他の奴らより、目立ってるだろ。評価してる奴、おかしいんじゃねえの。なにが足りないのか教えてくれよ、改善するから。みんなが好きな絵、描いてるだろ。

 

悔しくて、ケモノ界隈のめぼしい絵描きを全員点数付けした。その頃の私は若くて絵が上手いというステータスに執着していたので、年が近い奴は徹底的に意識していた。Twitterやブログに身辺情報があれば逆算して、おおよその年齢を割り出す。自分は、若手の中ではかなり上手いはず。目につかないわけがない。なぜ、ランキングに載ってないのか。

 

とにかく分析しなければ。2ちゃんねるは一応、誹謗中傷はしてはいけないというルールがあるのだが、そんなことは御構い無しだ。みんな名指しで、絵や人格を批判する。どちらも欠点が無ければ、作者のルックスにケチをつける。

 

だいたい分かってくる。話題になる人は、神絵師かド下手。そしてある程度、本人の素性がバレていることが条件。性格は天使でも悪魔でも関係なく、極端な情報ほど議論される。私に足りていないのは素性だ。

 

そう思って、Twitterを始めることにした。

 

アカウントを作ってpixivと連携すると、すぐにフォローが来た。フォローを返すと挨拶がくるので、こちらも丁寧に返す。定型文の羽根つき。言葉が行き交うたび、少しずつフォロワーが増える。見よう見まねで周りと同じことをした。ツイートもなるたけピュアに、高校生らしく見えるように。なにも知らない、純朴な良い子を演じて。

 

私の予想では、すぐにみんなとタメ口になって、ちょっと悪口がいい合えるくらいの関係になれると思っていた。しかし、いつまで経っても敬語のまま。挨拶したきり、関わらない人がほとんど。周りは馴れ馴れしく会話してるのに、自分だけ丁重に扱われている気がする。なんか違う。こんなんじゃない。求めてたのは、もっと内輪感のある"アレ"なのに。他に接し方も分からなかったので、おままごとにも全力だった。

 

その内、演じるのも馬鹿らしくなってくる。表面上いい人を演じる裏で密かに、私は大学生と連絡をとった。彼とはコミケに行った後も細々とチャットが続いていた。

 

「今日もなにごとも無かったよ。最近Twitter始めたくらい。最近、絵描いてても寂しいんだよね。東京が羨ましい。そっちはどう?」

 

どう?の言葉はもちろん、近況なんかを聞いてるわけじゃない。私のことどう思ってますか、良かったらこれからも会いませんか、2人でそれっぽく振る舞いませんか、の別表現だ。

 

最初の方は、以前と変わらず優しい返事がきた。温くて、ちょっとよそよそしいくらいの。

 

本音を出せる人はこの人しかいない。だから、はっきり言って欲しいんだけどな。私の方から言えるわけないんだから、そっちから言ってくれないと。欲しい言葉を貰えるまで、遠回しに気持ちを伝え続けた。

 

なにを話したかはよく覚えてない。極力、あの日のことは触れないようにしていた。長文で色々送ったとは思う。途中、イライラして当時聞いてたボカロ曲のURLを貼りつけた。好きな曲なんだ。君にも聞いてもらいたい。感想教えてよ。ねえ、いい曲でしょ。

 

何度も何度もURLを送った。

 

私のチャットが長くなるにつれて、彼の返事は短くなる。短い返答からは、彼の思考が読み取れない。不安になって媚びた。以前よりはっきりと、愛情めいたことを示してみる。しかし、数日間を置かれて返ってきたのはたった一文。米粒みたいな大きさの"そう。"

 

このままだと不味い。彼に無視されたら、私はどこにも本音を出せなくなる。そんなのは耐えられない。苦肉の策で、あえて距離を取ってみた。しかし、向こうからの返事が来る気配はない。寂しくなってまた自分からチャットを送ってみる。

 

「おれのこと嫌いになった?」

 

彼からの返事はなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大学生に無視された後、私のTwitterは荒れた。うまく呟けない。前みたいに和気あいあいとしたいのに、出てくる言葉は文句ばかり。周りの人間がムカつく。なんでみんな、そんなに幸せそうなの?絵下手なくせに、なんでこいつの方がフォロワー多いんだよ。取り巻きたちは、なに目当てでそいつに絡んでんの。本気で良いと思ってないよね。なんで適当に褒めるの。つかこいつら、ただのゲイのオタクじゃん。現実でゲイって言えないから、モテないから、動物の愛くるしさを借り物にして、逃げてるだけじゃん。そりゃ動物はかわいいよ。でも君がかわいい訳ではないじゃん。なんで疑問持たないの。持ってるけど言えないの。それとも、言わないだけ?そもそもなんで、私はこんなことやってるんだ。

 

思考が裏返って自分に突き刺さる。こんなの、同族嫌悪でしかないのに。

 

何を呟いたかも全然思い出せない。いきなりフォロワー整理します!と言ったり、支離滅裂な文章を書いたり、フォローしてきた人を突然ブロックしたり、した気もする。他にも言った気するけど、なんだろ。もうどうでも良かった。早くケモナー辞めたい。辞める理由が欲しい。嫌われないと辞められそうにないし、早くみんな私のこと嫌いになってくれないかな。自己嫌悪を他人のせいにし続けた。

 

ある日、ケモナースレに私の名前が挙がってた。

 

いい機会だと思った。こういうのを炎上と呼ぶのかは分からない。小火にもならない、当然の反応。でも匿名の誰かが、私の有りもしない詮索をして嘲るのを直接みるのは堪えた。望んでいた話題性を得られたのに、すべてが虚しい。近道するとこうなるのかもしれないし、遠回りするほど私は出来た人間ではなかった、それだけのことかもしれない。一息ついて、決意を固める。

 

慣れた手つきでpixivを開き、設定の項目を開く。

 

《退会すると取り消せません。よろしいですか? はい/いいえ。》

 

"はい"を押すまでに5秒掛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

砂のお城は、あっけなく崩れた。

 

倒壊を告げる鐘の音。どこからともなく天使が現れ、ラッパを吹き始める。地割れから伸びる虹。無邪気な子供たちの笑い声。

 

こんなものでどうして、城なんて建てようと思ったのだろう。身を守る手段が欲しかった、世界があんまりにもあんまりだから。

 

落ちている最中は、着地でしんじゃうのが怖かった。でも上から降ってくるガラクタが光を遮って、その明滅を美しいとすらも思った。呑気だなあ。積み上げてきたものに、そんなに価値はないのかもしれない。

 

この矜恃に比べたら。

 

だんだん地面に近づく。髪はなびいて、膨らんで、空虚な胸元とちぎれかけの手足。つま先の感覚はもう無くて、目を瞑ったらさよならな気もする。寒い。雲ほどの高さは無かったはずなのに、随分と長く感じる。

 

遠くのお城に、尻を出した王様が見える。私が馬鹿にした彼らは、いつまでああいうことをするんだろう。やっぱり、醜いものは醜い。ぶよぶよの腹、不明瞭なくせに。いちばんの湿度を伴って、脂身のぶぶんは空中写真に見えるね。男の醜さに、なんでぼくらは憧れちゃうんだろう。

 

歯がカタカタと音を立てて、いよいよ終わりかと思うと寂しいが、そんなのは明日になれば忘れるだろう。決めたものは決めたまま、動かさない方がいい。迷うな、振り返るな。あのまま進んでいるよりはよっぽどマシだよ。この決断を、英断にするのは君だ。

 

数メートル。この先に現実が、新天地が、開拓者が、途方に暮れて、あーあ。

 

ほんとに、くだらなかったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当時はものすごく悲しかったのだけど、このことは誰にも言わずに胸にしまった。私がずいぶん大きくなって、痛みとか平気になった頃に取り出して、あの頃はキラキラしてたなあ。なんて思うわけもなく、やっぱり最低な思い出だ。何度だって言ってやる。誰も悪くないけど傷ついた私がそこにいて、そのことだけが救済になる。

 

どうか彼らが一生知ることがありませんように。生涯危ぶまれる対象を、その憐憫で焚きつけますように。昇り、むせ返り、その目をガラス玉にして、まぐわい続けますように。ガマガエルが鳴いて、生涯を徒労に終わらせるのを憎み、慈しんだとき、露ほどの躊躇いもなく踏み潰せますように。

 

いつかの日もなく、飢え細った短髪野郎。仮初めの上着、なかみみえてんだよ。そうして牡蠣状の内臓にほだされ、息耐えたとき、ざまあみろとしか思えない。悪臭と狂気の破局が過ぎ、全てが崩壊した砂の丘で、緑色に光るそれを手にとって、私は哀れんだ。

 

「かわいそうに。」

 

いつか報われる彼らが、また天使のような笑顔を見せますように。そして、そんな笑顔はやっぱり気持ち悪いと、正気を取り戻す誰かが現れますように。

 

傷つきたくて傷つく人たち。私は君たちのこと、正しいと思う。だからこういうことを言うね。

 

「ほんとにご愁傷様。来世の巡り合わせに期待だね。気苦労の絶えない向こう見ず。せめて今だけは安らかに、未だ無い世界を祈ります。アーメン。」