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就活失敗したゲイだけど死なずに生きてる 8

東日本大震災が起きたのは、私の合格発表の日と偶然にも重なった。

 

忘れられない3月11日からの一ヶ月、日本は自粛と規制と混乱のムードでどよめいていた。私は家に帰ってまず、テレビが全てニュース一色になっていることに驚いた。似たような経験は以前、同時多発テロの時にも目撃している。2001年9月11日、まだ9歳だった私にはまだ事の重大さが飲み込めなかった。好きなアニメが見られないなとか、それくらいのことしか分からなかった。ただ、世界には私が想像もしえないような暴力が、避けようなく襲いかかってくるということは、子供ながらに肌で感じていたのだと思う。今回は、それと同じことが国内で起きたのだ。

 

中継リポーターの叫び声。逃げる人や家を、津波が飲み込んでいく。高台に避難できた人々が、木にしがみ付いている救助を待つ人を映す動画がtwitterに流れる。分厚くて黒いうねりが全てを破壊していく。こんなの怪獣映画でしかみたことない映像だ。

 

そして福島第一原子力発電所の4号機の爆発。放射能がどうとか、チェルノブイリに匹敵するレベル7の未曾有の大災害などとニュースで報道されている。私は出来る限りの情報をネットで集めた。関東に人が住めなくなる可能性についてや、農作物への被害、被害総額など。途方もない情報が飛び交っている。

 

「ただちに影響はありません。落ち着いてください、ただちに影響はありません。」

 

菅総理のこの発言を何度も放映するニュース。私はこの発言の裏の意図や、当時twitterで騒がれた陰謀論も見ていた。なにをもってして、ただちになのだろう。いずれは影響があると、言ってしまっているではないか。

 

私はこの時、日本がこのまま滅ぶのではないかと思った。TV番組は全て自粛され、ACのCMだけが不気味に流れる中、Twitterには絆という言葉で溢れかえっている。しかし、遠方にいる私にとっては他人事にしか感じられず、知り合いに被害者もいなかったため、呆然とするしかなかった。

 

この国は、本当にどうなってしまうのだろう。

 

しかし、悲観して何もしない訳にはいかないので入学する準備だけはしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

4月になっても結局、日本は滅んでいなかった。

 

私は大学の入学式を控え、美大ホールと呼ばれる大学の講堂に集まっていた。学部別に点呼を取られる。周りにはスーツに身を包んだ同郷が大勢おり、静粛なムードが漂っていた。

 

入学は最初の印象が大事だ。最初でコケると後で友達を作るのは大変で、4年間を陰険に、みすぼらしく過ごす羽目になる。そのため、皆SNSで連絡を取り合って、スタートダッシュを切れるようにするのだろう。そういう不届き者が大勢いると2ちゃんねるで調べていたので、私は焦っていた。後ろの席の人たちは、何人かは既に仲良しそうに話している。どうやら美術予備校のよしみで既に知り合いの連中もいるみたいだ。負けていられない、私も先手を切らなければ。

 

そう思っておもむろに、隣の席に座っていた女の子に声を掛けた。

 

「あ…あの…。」

 

うまく声が出てこない。するとその席の女の子が目線だけこちらに向けてくれた。

 

「…?」

 

可愛らしい女の子だった。きょとんとした顔でこちらを見ている。

 

 「Sさん、ですよね?」

「はい。」

「ぼく、坂上です。初めまして、苗字似てません?」

「あっ、そうですね、似てますね。」

「ね、似てますよね。」

「あはは。」

 

…また沈黙が流れる。最初の会話が苗字似てるってどうなのかと思ったが、これ以上会話が続かない。若干ぎこちなかったが、ともかく第一関門は突破とした。

 

教頭から、大学のカリキュラムや学校生活の案内が網羅されたシラバスが手渡される。ずっしりと分厚いページを捲るように指示されながら、学長のありがたいお話を聞く。いつも思うのだが、なぜ先生の話というのは退屈なのだろう。右耳から入って、左耳へ抜けていく。違うことを考えてしまう。そもそも、眠くなるような話をするのはどうかと思う。一対一で話して貰えれば、少しは聞くのに。

 

私はこういう時、ふっと天井をみる。無数のライトが等間隔に並び、空間を橙色に染め上げる。目を細めると、光は鬱蒼と伸び、万華鏡のように重なっては私の動きに合わせて揺れ動いていく。私は視力が悪いので、裸眼になればいつもこうなのだ。見える世界は、たった瞼一枚の隔たりによって簡単に茫然としてしまえる。

 

退屈すぎて眠たくなってきた、と思ったら教頭が次のページをめくるように指示を出した。私も慌てて次項を追う。が、どうにも皆が見ているページと違うようだ。私は申し訳ないと思いながらも、隣の女の子の見ているページを忍び見た。

 

隣人を愛せよとはこの時の為の言葉なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

その後は入学式もぱらぱらと終わり、私たちは美大ホールから一斉に退出した。中央階段の巨大な石膏像をなぞるように降りる。すると、出口には何故か先輩達がたむろしていた。降りてきた新入生は全員、蟻に群がられた砂糖水のように取り囲まれた。

 

「君たち、VDの子だよね?!」

 

VDというのはビジュアルデザインの略称だ。私の専攻は視覚伝達デザインというのが正式名称だが、長いのでVD(ブイディー)と略される。

 

「俺たち1個上の学年の先輩だから。今から案内するから、全員付いてきて!」

 

言われるがままに私たち1年生は2年生の教室へ案内された。これは『連れ去り』と呼ばれる大学の伝統行事で、私たちは全員そこであだ名を付けられるのだ。新しく生まれ変わるという意味で、ある種の禊とも言えるかもしれない。

 

2年の教室に着いた。既に机にはお菓子とジュース、紙皿と紙コップが用意されていて、パーティの準備が整っていた。椅子はホワイトボードに向かって整列されており、1年生は前方に、2年生は後方に座った。

 

2年生は私たちの名簿を持っているようで、あいうえお順に1人ずつ、ホワイトボードの前に立たされて自己紹介させられた。まず名前と出身地を話す。それに対して2年生がツッコミを入れる。北海道出身の子がいれば道産子が全員手をあげる。ルックスによっては恋人の有無を聞かれる。下世話な質問が続き、それに答える一年生の反応の中で、面白くイジれそうな部分を二年生があだ名にしてガムテープに書き込むのだ。いくつかのネームテープが出来ると、それを服に貼り付ける。

 

大量のテープを貼られた生徒は、道化師のようにおろおろと自分の席に戻っていた。

 

「次!8番!」

 

私の番が来た。どうしよう、なにを言うか全然考えてない。こんなに大勢の前で自己紹介するのは慣れていないし、特にアピールできるものもない。だが、インパクトは残したいと思った。何事も最初の印象が大事だ。

 

私は悩んだ挙句、頓珍漢な自己紹介をしてしまった。

 

「隣県から来た坂上です。耳フェチです。よろしくお願いします!」

 

ドンびかれた。私は当時、こういう体育会系のノリの方がウケると思っていたのだ。実際は全く耳フェチではない。口から出まかせだ。

 

私の服に『ミミガー』と書かれたテープが貼り付けられた。

 

 

 

 

 

 

 

全員のあだ名決めが終わり、各々が服にガムテープをいくつも貼り付けた状態で、私たちは先輩の家に向かうことになった。なにをするかと言えば、宅飲みだ。

 

私の学校は少人数制で、専攻1つに付き20人しか定員がいない。そのため、二学年ほどなら広めの家で宅飲みができるのだ。総勢30人ほどが、10畳の部屋にたむろする。

 

家の中には既に大量のアルコール類が置かれていた。缶チューハイ、缶ビール、ワイン、日本酒の一升瓶。下級生は端っこの方に適当な配置で座り、先輩たちが中央に陣取る。

 

「明日にオリエンテーションがあるから今日は控えめにやるけど、5月に全体の新歓あるから。その時までに一発芸考えておいてね。」

 

はなからうげーっとなる話だが、一年生には恒例の行事らしい。全員強制参加で逃げることは許されない。出し物をして、先輩たちを楽しませなければいけないのだ。

 

その日の宅飲みは2学年しかいないだけあってしっぽり始まった。しかし、時間が経つにつれて騒いでくる奴らが現れる。

 

ある先輩は、ずっと飲み会の仕切り役を任されているようで、ひっきりなしに喋る。ときおり缶ビールを放り投げるのだが、それを1年がキャッチする。すると、キャッチした奴とすぐさま抱き合い、"earth!"という謎の掛け声を上げて喜び出すのだ。いい人なんだろうけど、ノリがよく分からない。

 

騒ぎはするものの、先輩たちも同期もみんなどことなく根暗な、少しオタク気質なオーラがあり、親近感が湧く。ずっと共感し合える相手が欲しかったのだと思う。地元の閉鎖的な環境にいて、夜遊びも喧嘩も危ない遊びは何一つせずに受験に一直線だった私にとって、これは嬉しい歓迎だ。一緒になって騒いだし、調子に乗って缶チューハイを何本も空けた。

 

酩酊。視界がぼやけ、脳がジンジンする。先輩も同級生もノリがいい人ばかりだ。これからの4年間の楽しい思い出ができることを期待して、つまみを口の中に放り込む。

 

その日は夜11時くらいで解散となり、私はまだほろ酔い気分が残る体で家路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次の日、私は寝坊した。

 

時間を見ると、午前10時半。…10時半。今日は大学のオリエンテーションがある日だ。集合は、確か9時だったはず。…やばい、やってしまった。

 

遅刻確定の日の朝は不思議と冷静になる。落ち着け、一度深呼吸して考えろ。このままサボって退学になるか、今からダッシュするか。落ち着け、落ち着け…。

 

深く息を吸って、吐いた。答えは決まっていた。こんなに頑張って入った大学を辞めてたまるか!顔も洗わず、速攻で着替えて家を駆け出した。

 

私の家から学校へは徒歩5分ほどの、走ればすぐの距離にある。だが時間は既に10時40分を過ぎている。まさか、こんな初っ端から遅刻するなんて。大学生活の全てが終わったと思った。仮に許されたとしても一生いじられ続ける。とにかく、今後の学校生活を危惧しながら走った。

 

ほどなくして、私はオリエンテーションが行われる視聴覚室に着いた。ドアを開けると皆が一斉にこちらを振り向く。今日は教授陣との顔合わせの日なのだ。室内は静まりかえり、厳粛な雰囲気におもわず呼吸が浅くなる。どうしよう、怒られる。

 

「寝坊しました。すみません…。」

 

消え入るような声で私は謝罪の言葉を述べた。すると、教授の1人が声を上げた。

 

「お前、初日から遅刻かあ!」

 

わはは。と大きな声で、教授に笑われた。

 

「おれはこの教授生活でもう五年経つけど、初日からの遅刻はお前が初めてだよ!」

 

そりゃそうだろう。自分だってまさかこんな大事な日に遅刻するとは夢にも思ってなかった。泣きべそをかきそうな私を見かねたのか、教授がフォローを入れてくれた。

 

「もう皆の自己紹介は済んだから、君もなんか自己紹介してよ。」

 

その言葉を受け、反射的に私は頭を深く折り畳んだ。そして、声を大にして言った。

 

「申し訳ありませんでした!!!!!」

 

なぜか爆笑が起きた。自分では笑い事ではなかったのだが、私の真剣すぎる態度が滑稽だったのだろう。笑ってもらえるならまだ救いだ。この日全員に与えた印象のおかげで、私は『初日から遅刻君』として入学早々話題の人となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日から授業は普通に始まって、日常は一気に慌ただしくなった。

 

最初は1年生と4年生がグループを組んで行う課題が与えられた。期限は一週間と短く、その中で教授から与えられたテーマに対してコンセプトを立て、制作物を作り、プレゼンをしなければならない。大半は映像や立体などを織り交ぜた演劇のような仕上がりになる。1年生はまだ何も知らないので4年生が主体となって制作を仕切るのだが、慣れない1年生に学校の設備を教えながら制作物を発表するのはなかなか骨が折れることだ。私たちは毎日帰宅することができたが、4年生は終盤には学校に泊まり込みをしていたようだった。

 

他にも段ボールで大きな立体を作り上げる課題や、鉛筆で細かくフリーハンドの線を引いて行くレタリングの課題があった。いずれも一週間以内の短いスパンで作っては発表しなければならないため、寝る間も惜しんで課題に向き合う日もあった。しかし、同級生と協力しながらの制作だったので嫌になることはなかった。この時期の課題は、東日本大震災のすぐ後だったからか、作品のプレゼンの時に教授がやたらと『絆』という言葉を推すのが鬱陶しかったのを覚えている。

 

 

 

 

 

月日は矢継ぎ早に過ぎ、5月になった。

 

5月は新歓が立て続けにある。1年生が一発芸をする本命の新歓と、その前段階として1-4年全員参加の親睦会、プレ新歓がある。前段階と言っても、こちらも盛大なものだ。学校近くの公民館を借りて、ブルーシートを引き、宴会のように登壇席に登って自己紹介する。幹事は全て2年生の役目だ。

 

公民館にはぞろぞろと生徒が集まっていき、総勢50人くらいの集団が花見をするかのごとくシートに鎮座する。2年の司会進行が、一年生を囃し立てる。『連れ去り』はある意味この日のための予行練習のようなものだ。1年生はまた頭から順番に呼ばれ、前に出て自己紹介をしなければならない。

 

以前と違うのは、今回の飲み会は本気で1年を酔い潰れさせる為にあるということだ。用意されるのは『立山』という北陸の地酒。この日本酒一升瓶をコールを掛けながらラッパ飲みさせるのだ。

 

立山、立ててドドスコドスコ!」

 

掛け声にノリのいい奴らが拍子を重ねる。一年生はその間に、日本酒の一升瓶を口元に加えて上を向き、逆さまにしなければならない。

 

「まーわして!まーわして!」

 

立てられた『立山』がゆっくりと円を描くように回される。やってみれば分かるが、この状態では喉が開くため、上手く舌で流れ込む量を調節しなければ際限なく日本酒が注ぎ込まれることになる。20度の酒をストレートで飲むのは20歳前後の若者にはきつい。

 

ある程度回し終わったら、先輩が飲んだ量を確認する。

 

「あれ〜?全然減ってないね。」

 

嫌な予感がする。と同時に、新しいコールが掛けられる。

 

「飲んだふり!飲んだふり!」

 

実際に飲んでいようが御構い無しだ。飲ませたいと思われたらコールは掛けられる。そして上記の流れを繰り返す。

 

「もう一度、立ててドドスコドスコ。」

「まーわして!まーわして!」

 

魔女裁判に近い。息も絶え絶えに日本酒と格闘するのは、当事者にとっては地獄だが、側から見るとこれほど面白いものは無い。再度、回し終わった学生がゆっくりと一升瓶を下げようとする。すると、先輩が制止する。

 

「待って?なんか忘れてない?」

 

一年生がぽかんとしていると、容赦ない追求が始まる。

 

「ご・ち・そ・う・さ・ま・が!聞こえない!」

「もーいっかい!もーいっかい!」

 

惨憺たる有様だが、これが現実なのだ。三度目のラッパ飲みを乗り越えた1年生が、もう耐えられないといった顔で呟く。

 

「ごちそ…うっさま。」

「え、なんて言った?聞こえないよ??」

「ご・ぢ・ぞ・ゔ・ざ・ま"・で・し・た!!!!!!、!!!、!!!!!!」

 

本気の絶叫が響く。もはやスプラッター映画の様相ではないか。男子はこの一連のコールをこなすとようやく解放される。皆が拍手する。

 

「よっ、頑張った!」

 

頑張った!じゃねえよ。頑張らせたんだろ!!と内心ツッコミが入る。ちなみに、女子には寛大だ。大丈夫?無理しなくていいよ。などと中途半端にコールを取り止める声もあった。もちろん、一部の扱いを雑にしてもいい女には男子と同様にエグいコールが掛けられていた。

 

プレ新歓の一次会は、自己紹介が一巡したところで終わった。続いて二次会だ。

 

二次会の場所はまた2年生の家だ。私は一次会の時点でビール3缶と日本酒のラッパ飲みをこなしていたが、二次会ではさらに追加のビール7本と、日本酒とワインの一気飲みをした。これだけ飲めば完全に出来上がってしまう。既に宅内には共にぐでんぐでんになった亡者が犇き合っている。

 

「愛情一気!ドドスコドスコ!」

 

これは地元が一緒だったり、言動に相似する部分を見つけられた二組が掛けられるコールだ。盃を交わすように腕を交差させ、相手の酒を飲み、自分の酒を飲ます。

 

エス?オー?エス?オー?エスオーエスオーそ・そ・う!」

 

これは誰かが粗相を働いたときに掛けられるコールだ。酒を零したり、暴言を吐いたり、それが故意かそうでないかは関係なく、あらゆる失態に掛けられる。例え思いつきのような軽いノリであっても見過ごされない。

 

手拍子と合いの手。野次も飛んでいる。部屋の隅の方で男女がキスしている。過激すぎる。これが大学生になるってことなのか。大人になるってことなのか。

 

しかし、地獄のような飲み会も渦中に居れば楽しいものだ。"へべれけ"共が闊歩する百鬼夜行。よろずの目は眩む視界を映し出し、ビールの空缶は部屋の灯りを反射しながら行燈のように転がっている。部屋の隅の方で、痺れる手足をふるい、亡者たちと戯れる。抱き、舐め、撫でられて、全身をまさぐる手はもう誰のものか分からない。数多の手と足と団子状になりながら、私の意識は段々と薄れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だいじょうぶか?水飲むか?おい、誰か水持ってきて!」

 

先輩の声が汽笛のように、遠くからこだまする。なんなんだ。私は眠いのに、大人しく寝かせてくれ。

 

と思ったが、先輩が私を揺さぶる理由が分かった。

 

寒い。体が芯から震える。先ほどまで火照っていたはずなのに、今は全身が鳥肌立っている。水が入ったコップが手渡されるが、手が震えて上手く持てない。ビチャビチャと零しながら口元に持っていく。

 

かろうじて水を飲む。目がまぶたの裏側に動いてしまい、側から見ると白目で痙攣している状態だ。直ぐ近くにいるはずの先輩の顔もよく見えない。

 

「おい、もっと水飲め!おい!!」

 

意識が遠くなる。耳に水が入ったみたいに先輩の声が不鮮明になる。私はなんと返したか、よく覚えていない。とにかく、寒い。とすいません。を繰り返していたように思う。その後、私の意識はもう一度途絶えた。

 

恐らくあれは急性アルコール中毒の症状だったのだろう。意識は完全に混濁し、記憶も飛び飛びでよく覚えていない。一体あの状態からどうやって家に帰ったのだろう。目が覚めたとき、私はベッドの上にいた。

 

我が家の天井が見える。良かった、生きていた。

 

死の淵から生還した私は、まず最初に割れるような頭痛に苦悶の表情を浮かべた。関節にも熱を出したときのような違和感が残っている。よろめきながら布団から起き上がる。トイレに行き、体内に残った水分を排出する。そして、幾分かすっきりした頭で、私は冷静にするべきことを考えた。

 

そうだ、今日は同級生との鍋パーティがある。時間は午後2時を過ぎていた。夕方からの買い出しには十分間に合う時間だ。私はのそのそと服を着替え、自宅を出る準備をした。

 

 

 

 

 

 

 

学校へ向かうと、1年生の教室には既に何人かの生徒がいた。

 

「がみー生きてた!昨日のこと覚えてる?」

 

がみーとは、私のあだ名だ。結局ミミガーは定着することは無く、他の候補になるような特徴もなかった私は、苗字の坂上から語尾をとってがみーという名前で呼ばれていた。

 

「……正直最後らへんは全然覚えてない。起きたら家のベッドで寝てた。」

 「だろうね。あのあと吐いて吐いて大変だったんだよ。」

 

そうだったのか、知らなかった。なにしろ記憶が抜け落ちているからだ。私の最後の記憶は、先輩が私をさすりながら水を飲ませてくれたところで止まっている。

 

「あとがみー、女の子の足にゲロ吐いてたよ。」

 

同級生に真顔でそう言われた。正直、卒倒するかと思った。まさか、そこまでの痴態を晒していたなんて。一切の記憶が無いことはこんなに恐ろしいことなのか。私は青ざめた顔で謝った。

 

「マジでごめん。」

「いいよ、たぶん、気にしてないと思うから。」

 

気にしてないからと言いつつはっきりと真実を突き付けてくるのは、私が舐められてるからだろうか。私は謝ることしかできないのでとにかく謝った。

 

噂は一瞬で広まり、その日からしばらく私のあだ名は『足ゲロ』になった。