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就活失敗したゲイだけど死なずに生きてる 13

お母さんの子になんて生まれなきゃ良かった。

 

RADWIMPSが出した『五月の蝿』という曲の一節だ。

 

私は高校時代ずっとRADWIMPSを聴いていたのだが、ちょうど大学生の頃にリリースされたこの曲を聴いて、私は当時の行き違いの果ての亀裂を、悔い、病んでいた。どうして母に、あんなことを言ってしまったのだろう。言わなくても良かった。むしろ、墓まで持っていくつもりだったのに。なぜ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日もいつものように母からの電話が鳴った。もちろん内容は、バイトの催促だ。母は常にお金の心配をしていて、不愉快だった。だからその日も、かかってきた電話に対してぶっきらぼうに、なに?と返事をしたところだった。

 

「何じゃないわよ。あんた、家賃払ってないでしょ。こっちにまで連絡来てるよ。なんでそう、前からわかってることができないの。バイトしなかったらいつかこうなるって分かってたでしょ。どうするの?今回は私が払うけど、今後どうするの?バイトいつするの?ねえ、決まるまで許さないよ。あんた、ほんといい加減にしなさいよ。」

 

うるさい、言われなくてもそんなことわかっている。心の中で反論する。バイトがしたくないんじゃない、続かないんだ。働くのが怖くて仕方ないんだ。どうしようもないんだよ。

 

そうした心の声は、言葉として出てくることはない。母からのお叱りの声を聞きながら、ただ黙り、時折小さな声でごめんというのがいつもの流れ。

 

早くこの会話終わらないかな。

 

母がお金に困っているのはよく知っている。いつも身近でみていたからだ。幼い頃から、ファミレスでは一番安いメニューを選ぶようにしていた。その方が母が喜ぶと思ったからだ。

 

どうしても欲しいゲームやおもちゃは、こっそり祖父に買ってもらっていた。母はいつも何かに怒っているみたいで、純粋に怖かった。いつだって甘やかしてくれて、楽しい場所に連れて行ってくれる祖父は、家庭内の私の居場所だった。

 

「じいちゃんは、りゅうのすけが宝物だったからねえ。」

 

祖父が亡くなってずうっと経ってから、祖母が言った言葉だ。自分でもそう思う。家族の中でも特別に愛してくれて、手塩にかけて守ってくれたのは祖父だったように思う。

 

その言葉を聞いた母は、苦い笑みを浮かべながら言った。

 

「子育ての厳しい面は私に任せてたからね。」

 

母の厳しさは、教育だったとでもいうのだろうか。毎日ご飯を作ってくれて、学校にお見送りしてくれたことには感謝している。授業参観だって来てくれた。ただ私の中の母のイメージは、常に忙しそうにしていることと、怒ると鬼のような形相で私を睨むことだった。

 

母が嫌いなわけではない。大学入学が決まったときは心から喜んでくれたし、私のことを愛しているのだと思う。ただ、どうしても電話ではお金のことばかりを責められる。どうしてわかってくれないんだ、私はこんなに職場で辛い目にあっているのに、どうして助けてくれないんだ。

 

そんなの、言わないからに決まっている。私が仕事ができないのは、男性への恐怖心があるから。そして、男性への恐怖心の根源は、お父さんがいないことと、私がゲイであることが関係している。

 

母は私がバイトを探そうとしない理由がわからない。だから責めるのだ。やらない理由を言わなくてはいけない。ただやりたくないでは済まされない。受験の時に約束したからだ、入学してからのお金はバイトで工面すると。

 

暗に、カミングアウトを迫られている気分だった。

 

しかし母には言えない。言ってたまるか。彼女まで作って隠したかった自分の恥部だ。私がゲイであると伝えて、母が受け入れてくれるはずがない。なぜなら、私の生まれ育ったような田舎にはゲイの人なんていないし、仮にいたとしても絶対にカミングアウトなんてできる環境ではないからだ。人は自分の周りに存在しない人のことをテレビの中の出来事かのように扱う。私は彼らのように派手に煌びやかに振る舞えないし、そんな見た目でもない。第一、そんなふうに誤解もされたくない。

 

家族にだけは言えない。それが、当時の私の決断だった。

 

しかし、その日の母との電話はなかなか終わらなかった。私が切ろうとしても、母は電話越しに怒り、バイトを急かす。私ができないと言うと、なぜと詰めてくる。

 

「なんでって、できないからって言ってるじゃん。」

「だから、それは言い訳でしょ。だってこっちにそんなお金ないよ?仕送りあげられるほどの余裕もない。なのに働かないって、あんたこれからどうするつもり?何も家にお金を入れろなんて言ってない。ただ、自分の生活費くらい自分でなんとかしなさいよ。」

 

母は正論を私に突きつける。しかし、その時の私はどうしても、働く気になれなかった。

 

「……働けない理由だってあるでしょ。」

「理由って何。なんの理由があるの。言ってみなさい。」

「それは言えないけど。」

「言えないって何、言えない理由なんてないでしょ。あんた、私になんか隠してることでもあるの?」

 

しまった、言いすぎた。焦って取り繕うが、一度綻んだ継ぎ目は徐々に剥がれ落ちていく。

 

「隠してることくらい、あるよ。」

「言ってみなさいよ。怒らないから。」

「もう怒ってるじゃん。」

「それはあんたがずっとバイトもせず家賃滞納するからでしょ。」

「……なんでそんな、おれだけ働かなきゃいけないの?周りの友達は、バイトもせず仕送りもらってるのに。なんでうちだけなの?」

「それを分かっててあんた大学入りたいって言ったんでしょ。応援はしてるよ。ただ、生活費は本当にうちは援助できないの。だから、本当に、ちゃんと働いて。」

 

ちゃんと、という言葉がささくれのように引っ掛かる。ちゃんとってなんだ。なにをしてたら、ちゃんとした人間になるの。ノンケはちゃんとしてるの?お父さんがいる家庭はちゃんとしてるの?私は、ゲイだからちゃんとしてないの?

 

母に対して怒りが湧いた。なぜ、この母親は私のことをこれっぽっちも分かっていないのに、正論ばかり押し付けるんだ。私だって働きたいよ。ちゃんと収入を得て自立するために大学に来ている。将来をちゃんと考えてるよ。それなのに、今バイトができないことでこんなに責められるの。なんでだよ。

 

あー。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

むかつく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいよ。あなたには絶対に分かりようがない秘密を、おれは持ってるから。だから働けないの。それに、おれのことをなんにも知らないで好き勝手いうけどさ。それ他人に向かって説教してるのと同じくらい無意味なことだと思うよ。」

「……はあ?あんた、なに言ってんの。誰があんたを育ててきたと思ってんの。息子のことは私が一番分かってるわよ。それに、なに?その秘密って。さっきから、あんたまさか悪いことしてるんじゃないでしょうね。」

「してないよ。」

「じゃあ何、秘密って……まさか、麻薬?」

 

思わず笑いそうになった。この母親は、18年間も息子を見てきて、本当に何も分かっていないんだ。薄氷のようにやわい表面だけをなぞって今まで生きてきたんだ。真実なんて目もくれずに。

 

なーんだ。

 

「麻薬って、そんなわけないよ。」

「じゃあ何、お願いだから教えて。私の知らない秘密って、なんなの。」

 

私はこのすっからかんな母親を、心底可哀想に思った。だから、言った。

 

「ゲイなんです。だから働けないんです。理由、知りたい?」

 

数秒、間があった。

 

「……え?ゲイ?」

「そう、ゲイなの。だからバイトしたくないの。ごめんね、今までずっと知らなかったよね。男で、男が好きなんです。わかる?ほんと、ずっと気付かなかったんだね。18年間、他人を育ててたんだよ。ごめんね?」

 

語気が強まる。私の口調が刺々しくなるのとうらはらに、母の声はか細く、小さくなる。

 

「……本当なの?」

「嘘だと思うならそれでもいいよ。ずっと黙ってたから。言えなかったんだ。それがストレスで実家も出たかったし、ほんとせいせいするよ。一人暮らしができなかったらこうして言えなかっただろうしね。感謝だね。」

 

母は、しばらく黙り込んだ。続けて、私は問いかける。

 

「バイトができないのは、男性が怖いからなんだよ。うちずっとお父さんいないよね?知ってる?ゲイって母子家庭出身の人が多いんだって。ずっと自分がなぜゲイか考えてたんだけどさ、もしかすると母子家庭が原因なのかもね。そしたら、お母さんが原因ってことになるよね。笑えるね。」

「……あの時彼女がいたのは?」

「可愛かったから付き合ったの。それだけ。結局セックスもできずに別れた。だってしょうがないよね、ゲイなんだもん。家族に隠したくてちょうど良かったから付き合ってたの。あ、それでね、男性が怖くて仕方なくて、おじさんとうまくコミュニケーションができないから、だからいつもバイトクビになるの。本当は働きたいんだけどさ、ごめんね。こんな不出来な息子で。ほんとごめん。」

 

謝る気なんてさらさらない。とにかく、電話越しにいる母に、ありったけの罪悪感を植え付けたい。

 

「だから、まとめると、あなたはずっと18年間他人を育ててきたんです。化けの皮が今剥がれました。これからは他人だね。ほんとは全部1人で背負い込んで生活していければ楽だけど、今はできないから力を借りちゃうね。ごめんね。いつかこの借金全部返すから。生まれてからずっと、自分に掛かってたお金全部返すから、そしたら他人になろうね。」

「……なに言ってんの。そんなの望んでるわけないじゃん。」

 

母の声は、少し潤んでいた。

 

「まあとにかく、バイトができない理由、分かったでしょ。もう長電話だから切るね。ほんと、孫の顔見せられなくてごめんね。」

 

私は電話を切った。言ってしまった、勢い余って全てぶちまけてしまった。

 

カミングアウトという儀式は、祝福されるべきものとして扱われている。結婚式を挙げたカップルに、皆がお幸せにというように、カミングアウトをしたセクシャルマイノリティには、よく勇気を出したね、と賞賛の声が挙げられる。Twitterなどで何度も見た光景だ。

 

私は、あのカミングアウトの儀的な装いが苦手だった。なぜなら私はそのように立派に讃えられるようなカミングアウトをしてきたことがないからだ。初めての告白は玉砕し、わんわん泣いて友達に肩を貸してもらう。そんなみっともないカミングアウトしかしてこなかった私は、ゲイだと伝える方法を、最終手段として捉えていた。つまり、もう後には引けない状態になるまで我慢して、爆弾のようにアウトするということだ。まさか肉親にまで、爆弾を投げつけることになるとは思っていなかったのだけど。

 

普通、カミングアウトした後というのは多少なりスッキリするものだ。しかし、その時の私は怒っていた。どうしようもなくドス黒い感情が湧き上がり、取り留めもなく罵る言葉が湧いてくる。しかも、なるべく相手を傷つけるような表現が生まれてくるのだ。私の一体どこに、こんな語彙力があったのだろう。

 

吐いても吐いても吐ききれず、少し冷静になってきた頃、事態を重く捉え始めた。どうしよう、ついに母に言ってしまった。

 

しかし、言ってしまったものは仕方ない。そうやって気持ちを割り切ろうとするが、気が滅入る。これからのことを考えると、憂鬱で仕方ない。家族にどう顔向けしたらいいんだ。私はこれからどうしたらいい。

 

最悪のカミングアウトが終わって、その後どうやってその日を過ごしたかはよく覚えていない。ご飯を食べて普通に寝たのだろうか。そうだとしたらあまりにも無神経すぎる気がする。しかし、記憶にもやがかかったようにその日1日の出来事が思い出せずにいる。私はあの日、どう言う気持ちで過ごしていたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌朝、私の携帯が鳴った。母からの着信だ。

 

「昨日は色々言いすぎてごめんね。あのあとちょっと反省してた。バイトはしばらく休んでいいよ。……ただちょっと、改めて確認なんだけど。」

「うん。」

「ゲイって、治らないの?」

 

母のその一言に、私は凍り付いた。何を言ってるんだろう、治る?治す方法があるのなら、とっくにやってるよ。あるなら、逆に教えて欲しいよ。この女は、正気でこんなことを言ってるのか。

 

キレた。それはもう、本気の怒声を浴びせた。

 

「ふざけんな。おれがいままでどれだけ我慢して辛いことに耐えてきたか知ってるのか、知らないよな。なのに、治せるかだ?そんな言葉を言うために電話してきたのか。本っ当に、クソ馬鹿女だな。そんな方法、こっちが知りたいよ。治せる病院あるなら連れて行けよ。なあ、ほんとに、今すぐ治してくれよ。そしたらおれは親孝行できるし、バイトもできるようになるよ。一石二鳥だろ。はあ、ほんとに、馬鹿すぎて苛つく。なんで、お前みたいな女の元に生まれてしまったんだろう。父親の顔が見てみたいよ。あ、おれとそっくりなんだっけ。じゃあ父親もゲイだったんじゃないの。だから離婚したのかもね。何度も、何度も、何度も。」

 

18年分の積載が、一気に蓋を開ける。私の口からは口汚い言葉が溢れ出す。

 

「偽りの家族だったんだよ。その人のセクシュアリティは、ほとんど性別みたいなもので、それを知らずに育てたってことはずっと、他人を見てたのと同じなんだよ。おれはずっと寂しかったよ、苦しかったよ、仲間がいなくて田舎で1人、虚しかったよ。それでも将来を諦めずに必死にデッサンしていきたい大学受かって学費だって全額免除になってるんだ。十分親孝行してるだろ。おれにこれ以上完璧を求めないでよ。男性が怖いんだよ。コミュニケーションの仕方がわからないんだよ。仕方ないじゃないか、そう言う風に育てられたんだから。」

「りゅう。」

 

母が口を挟んだ。

 

「もういい、私が悪かったから。それ以上言わなくていいから。治せないのは分かった。ごめん、自分でもちゃんと調べておくから、また今度話そう。」

 

母との電話が終わった。最後はもう、喚き散らしながら憎悪の感情を剥き出しながら叫んでいた。私をこんな風に産んだ母が憎くてたまらない。見返せない自分が悔しい。私がちゃんとバイトができれば、ちゃんとノンケとして生まれていれば、こんなことにはならなかったのだろう。

 

お母さんの子になんて生まれなきゃ良かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

カミングアウト後は、何度か母から連絡は来た。ただ、私は電話に極力出ないようにしていた。無視を決め込んで、どうしようもなくお金が足りなくなった時だけこちらから電話をかける。そうして、金の催促をするのだ。最初はバイトの話を出していた母も、段々と何も言わなくなり、ただ黙ってお金を援助してくれるようになった。そのお金がどこから出ているのかは知らないが、お金を貰ったら貰ったで罪悪感に苛まれ、虫が湧いた植物を見た時のようにむず痒く、どうしようもない気持ちに襲われた。

 

大学2年の夏休み。学生たちで海を見に行った。地引網で魚を捕まえて、その場で捌いて食べる企画があるのだ。私は体型がガリガリでコンプレックスだったのであまり海は好きではなかったが、久々の開放感に少し心が安らいだところだった。

 

実は私は、18年間刺身が食べられなかった。だがこの地引網で捌いた魚を食べて、初めて生魚を美味しいと感じた。それからは抵抗なく刺身が食べられるようになった。

 

きらめく水面に西陽が照らされる。サングラスを額に掛け、ビーチチェアに腰掛ける。男子たちはまだ海に入っていて、浮き輪に浮かぶ様子を遠くから眺める。サイダーの蓋を開け、一気に飲み干す。

 

炭酸の刺激が胃から込み上げてくる。口に手を当て、二酸化炭素を口から吐くと、なんだか今いる景色が酷く現実離れしているように思えて仕方ない。

 

私はバイトもうまくいかない、母には最悪のカミングアウトをした、そして最愛の人に振られ、祖父が亡くなった。この一年半の間で起こった出来事が濃密すぎて、告白したのがはるか昔のように感じられる。たった10ヶ月ほど前のことなのに。

 

受験の時が懐かしい。あの時はただ、がむしゃらに目の前のことに取り組んでいれば成果が出ていた。しかし、大学に入ってからは課題もいまいち評価されず、私生活では失敗ばかり。物事は、真っ直ぐに向き合うだけではうまくいかないということがよく分かった。

 

いや、もしかしたら私の姿勢がとんでもなく歪んでいるのかもしれないけれど。

 

ひとときの海での休息の後は、家でぐったりして寝込んでいた。この頃から私は過眠に悩まされるようになった。一日12時間くらい寝ても、まだ眠れるのだ。浅い眠りを繰り返し、気づいたら学校に遅刻することも何度もあった。幸い、取得しなければならない単位はギリギリ取れていたため留年などにはならなそうだった。しかし、夏休みという貴重な時間をただ寝て過ごすのは自分でも勿体無いとは思う。でも体が言うことを聞かないのだ。

 

休みの日になるといつもこうだから、早く学校が始まってくれればいいのに。長期休暇なんて要らない。課題があれば、嫌なことも忘れて集中できるのに。そう思っていた。