がみにっき

しゃべるねこ

MENU

就活失敗したゲイだけど死なずに生きてる 24(〆)

春、私たちは卒業式を迎えた。その日は卒業生たちが思うがままに仮装をするのが恒例行事となっている。私も準備をする意識はあったのだが、どうにも重い腰が上がらず、前日にようやく家に残っていた布を縫って簡素な帽子を作った。特にテーマがあるわけでもなかったが、当時黄色が好きでよく着ていたのと、SNSのアイコンをとんがりコーンの写真にしていたのも理由だろう。こだわりはなかったから、クオリティは最低ラインをやや下回っていたように思う。

 

当日、教室に着くと色とりどりの格好をした同級生たちがたむろしており、その鮮やかさに当てられて私の気持ちも少しだけ晴れた。教授にお別れの挨拶をする人、同級生と今後の展望を話す人、退屈そうに窓辺を見つめる人など、様々だった。私はとくになんの気持ちでもなかったように思う。今ここにいる意味とか、役割とか、それをみなはわかっているように思えたが、私にはわからなかった。ただその場の空気に順応してそれらしく振る舞うことしかできなかった。

 

教授に声をかけられて、私たちは集合写真を撮った。訳のわからない集団が身を寄せ合う姿はややこしいことこの上ないが、恐らくみなの中ではこれが"おめでたい"ことなのだろう。そのような実感は心にすぐさま浸透して、ものを言うという気持ちを削いでしまう。空気に違和感を感じても、そういうことにしておけば丸く収まるし、一日も経てば平気になる。そうやって流してしまえるのであれば結局、私もその空気の一部であることに他ならなくて、その事実にげんなりとする。

 

その後は学長の挨拶があったホールに移動して、祝辞を述べられた。外に出ると見送りにきた後輩たちが待っていて、私たちには話す時間が設けられた。必須ではないのですぐに帰る人もいたし、同郷を懐かしんで長話をする人もいた。私はフクロウくんに会いにエントランスに向かった。そこには油画の学生たちが集まっており、奇々とした装いの中に一部、すらりと飛び出る頭が見えた。呼びかけると、頭は上下しながらゆっくりとこちらへ近づいてくる。全貌が見えると、私は面食らった。その人は仮装というよりも女装?をしていて、濃いアイシャドウを落とし、まつ毛をふんだんに生やしながらこちらに微笑みかけた。一見誰かわからなかったが、私の名前を呼ぶ声を聞いて、その人がフクロウくんであることをすぐさま理解した。

 

元々背の高いフクロウくんはハイヒールのせいで余計に聳えて見えて、それが似合っているのがなんだか可笑しかった。

 

「すごいね。」

 

私は褒めたつもりだったが、どうだったかな。小さく返事が返ってきたのは覚えている。しばらく話した後、私たちは昼食を食べにエントランスの階段を降りて近所の商店街へ向かった。学生街にあるそこは雨除けのアーケードが百メートルほど続いており、閑散としつつもいくつか洒落たお店も入っている、風情のある町だった。

 

私たちは端にある、学生に人気の多国籍料理屋に入った。そこは内装が異国情緒に溢れているところや、バイトが代々美大生で続いているところ、あとはメニューが豊富で美味しいところが評判が良く、在学中に何度もお世話になった場所だ。

 

まだ早い時間だったからか、店内は比較的空いていた。柱を背もたれにしながら向かい合わせに座る。席にはエキゾチックな柄のクッションやブランケットが敷き詰められ、壁掛けの大きな絵なんかは所々剥がれていて、挿絵のようだった。チェイサーが配られた後、二人で一息つく。

 

「知っているとは思うけど、」

 

フクロウくんは口を開いた。

 

「こっちに居られるの、来週までだから。」

 

そう言われた後、私は以前に二人で話した日のことを思い出していた。お別れの時がもうすぐやってくるのだ。それが私たちにとってどういう意味を持つのかはわからないが、その日は刻一刻と近づいているのだと。私は首元に焦点を合わせ、視線が合わないようにしていた。料理が運ばれてくるまでの間はそうやって、互いの現状が意図的に曖昧になるように仕向けていたと思う。

 

運ばれてきたドリアは今にも踊り出しそうなくらいに熱々で、私は添えられているスプーンを手にとってから少し混ぜた。裏返ったターメリックライスからはもくもくと湯気が立ち、火傷を忠告されているように思えたが、迷わず頬張った。上顎に高温のソースが付着すると思わず「熱っ。」と声が出る。すぐさま滲み出てくる唾液を絡ませながら、何度か咀嚼してみる。私が飲み込むまでの過程を、フクロウくんはじっと眺めていた。フクロウくんはたまに、私の食べている姿をまじまじと見つめることがある。普段なら気にならないところだが、二人で過ごせる時間が残りわずかであることから、私は君が何を考えているのかを知りたくなった。せっかちな私が慌てふためく姿が面白かったのだろうか。この前の言葉を、反芻しているのだろうか。利き手は真銀の皿に添えられて、窓から差す光はすべてを抽象的に見せていたけれど、影だけは真っ暗だった。仄かに藍が混ざった黒。食器を置く音と共に、君と私が話しているという事実までもが乾いていくようだった。きっと三月という季節は物事に辿々しい線を引いてしまって、そのことすらもあっけなく忘れてしまうくらいに純粋なものなのかもしれない。そうした関係が弦のように張っているのが私たちであり、それはもうすぐ解けて消えてしまうのだ。

 

椅子を支える脚がぎいと音を鳴らす。私は肩の力を抜きながら、背もたれに身体を預けた。スパイスの香りが全身に染みていく気がして、その日を考えないように、感じないように。私たちはこれからも大丈夫なのだと、節目に吹く風だけを信じていたいと、どこかで思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束の日、私たちはいつものようにフクロウくんの家で待ち合わせた。急な階段を登ってから家のチャイムを鳴らすと、フクロウくんが出てきた。とても外に出かけられるような格好ではなく、長袖のインナーシャツを捲っていて髪の毛も寝起きそのままで、なんだか物知り博士みたいだった。「入って。」と言われたのが聞こえて、私は靴を脱いでから玄関に上がった。

 

部屋の中はもうほとんど荷物がなく、隅っこの方にこれから運ぶであろう大きめの鞄が置かれていた。私よりも二週間ほど早く家を空けると聞いていたが、随分と片付けが早いのだなあ。

 

こうしてみると、元々広い部屋だったことがわかる。フクロウくんは私物が多いと自分でも言っていて、二人で過ごしていた頃は本やカンヴァスや衣服、雑貨などが所狭しと並べられていた。そんな部屋が少し見ないうちに空っぽになってしまった姿は、抜け殻にも似てさもしい。

 

フクロウくんは部屋に入るなり、忙しそうに洗面台へと向かった。私は部屋の中央に座り、持ってきたペットボトル飲料を何口か飲む。ふと、窓枠が目に入った。カーテンが取り外されたそれはあらゆる侵入を許しているように見えて、霊道と言われても納得がいく。空室ではあるが、そこに誰かが住んでいた形跡が確かに残っており、その誰かとは紛れもなく私たちのことなのだけど、どう考えても他人事に思えた。記憶とは別個に存在しており、鍵を持った人はいつでもそれを取り出して、味わえるのかもしれない。

 

フクロウくんが部屋を行き来する中、私はぼうっと外の景色を見ていた。茫漠と言って差し支えない、途方もない未来が迫ってくるようで、それを想像している時の私は別のところにいたと思う。しばらくして、コートを羽織ったフクロウくんがやってきた。その手にはまだ余裕があるゴミ袋が握られていて、荷物は綺麗さっぱり無くなっていた。私は最後に室内の写真を撮ってから、思い出の部屋を後にした。

 

近くのバス停に着いて、時刻表を見たが次のバスが来るのはしばらく先だった。私たちは近くのガードレールに腰掛け、それとなく話した。何を話したのだろう?話したと言う景色が思い出せるだけで、私はそのときの君の言葉や発する音、表情や仕草などの細部が思い出せないでいる。無声映画のように断片的な映像だけが僅かに繋がっている。それは心のざらついた部分をなだらかに擦ってしまうような、甘みのある記憶。

 

「卒業しちゃったね。」

 

私がそう言うと、フクロウくんは口を開いた。

 

「そうだね。おれは今日でこの街から離れるのに、全然実感湧かないなあ。」

「寂しくないの?」

「どうかな、案外こんなもんなのかなって思えてる。」

「そうなんだ。おれは去年すごく寂しかった。おれだけが五年生をやってて、みなが先に卒業しちゃったもんだから、悲しくて何にもできなかった。でも今年はどこか他人事のように思う自分もいて、どっちなんだろう。」

 

私がそう言うと、フクロウくんは俯きながら「どっちなんだろうね。」と呟いた。

 

やがて道路の向こうにバスが見えた。おもちゃのような大きさから、実体を伴って大きくなるそれを私たちは待った。その時のフクロウくんの横顔は整って見えて、やはり私はこの人のことが好きなのだと改めて気付いた。

 

ブレーキの音がして、ドアが開かれる。私たちはその前に移動する。フクロウくんの背中は、いつもよりも小さく見えた。

 

「それじゃあ、」

 

どちらともなく言いかけて、私は手を伸ばした。手を握ると、手袋越しに君の体温が伝わる。指先は絹のように柔らかく、冷たい。往来する車の音が流線のように耳を抜けていくのが聴こえて、私たちは本当にお別れなのだと悟った。また会えるよ、なんて君は言うけれど、きっとそんなことはないのだ。溢れる切なさは琴線に触れる。灯火だけが真実を伝えてくれる。冬の窓硝子のように一瞬君の顔が曇ると、その差異は見せる景色を白く塗り替えてしまって、いつかの雪吊りのようだった。明日を生きること、希望を絶やさないこと、それらが困難なことには思えなかった。私たちはただ流れるのだ。水のように、摂理が決めた形に変化していくだけなのだ。それに抗わないことだけが、私たちに許された唯一の在り様であり、救いなのだ。

 

私たちは手を振った。バスが発車しても、窓の向こうが霞んでわからなくなっても、振り続けた。バスが曲がり、君の姿が完全に見えなくなっても、私の手は動き続けた。進む先々で起こる辛苦を、伝えあぐねいた一切の言葉を、弾いてしまえばいいと思う。触れたという実感は、離れてゆく人たちを繋ぎとめる糸だから。関係性とは変化してゆく永遠なのだと、それがにんげんにとっての愛の形なのだと、私には思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

枕元で警告音が鳴り響く。幾度となく聴いたその音は、私の生活の一部に骨のように埋まっている。毎日一定の時間に起きなければいけないという事態は、物事の異常性を麻痺させる。上体をむくりと起こし、顔を洗い、服を着替え、外に出る。一連の動作は全て身体に染み込んでいる。階段を降り日向に来ると、夏とも見紛うくらいには蒸した暑さが身体中を包んだ。生ぬるい風を切るように手足を伸ばし、影と影とを跨いでいく。身に着けた衣服も次第に透明になり、上着の匂いは皮脂の臭いと混ざりあってなじみのあるものとなった。眠気が襲ってきて何度か欠伸をすると、思考がこそぎ落とされるかのように頭が冴える。血液が末端まで行き届き、両足はなんの指示がなくとも目的地に向かって歩みを進める。小煩いほどの日々の流れにかろうじて命を預けている私のような人間は、どれだけ時が経っても後ろめたい人生を送るのだ。それが虚しいかと言えばそうではなく、ただ切実なのだ。みなが考えるのを止めたことを、私は考えてしまうというそれだけのことだ。

 

等間隔に並んだ図形たちは視界を掠めていく。空に浮かぶ真円が、辺りをわざとらしく照らしている。電車の揺れは、ここに立っているという事実を放り投げては遊んでいる。寂しがりなのかもしれない。私たちが普段そうしているように、世界もまた誰かの没落を憂いているのだ。

 

それがまるで作品だとでも言うみたいに。

 

さよならの聲はいつかの号笛になる。人口密度は罪の累積だろうか。慎ましく思う気持ちが誰よりもあって、それを当然と思えている私のような人たちは、さぞや生き易いだろう。なんの困難も、そこに在りはしないだろう。そうやって薄く笑うと同時に暗幕は下ろされ、物語は一つの結末を迎える。だからなんなのだろう?物語は今も続いている。これからも、その先も、地続きの生涯を歩んでいかなければならないのに、そこに違いはないのに、どうしてこんなにも違えてしまうのだろう。

 

就活失敗したけれど、今も生きてる。死ぬのに失敗したけれど、今も生きてる。息を吸うたびに膨らむ肺胞が、私が私であるという事実を知らせてくれるようで、それもなぜだろうか。あっけなく生きてこられたように思えるし、ものすごく苦労したようにも思えるのだけど、どれも決まったものではない。真摯さや、矜持に近いことだ。私は生きることも死ぬことも、妥協できないのだ。

 

東京の酸素は田舎よりも薄い。それは人の吐く息が多いからなのか、本当のところは誰も知らない。みなが酸欠状態で生きているこの社会で、私のような人間に何ができるのだろう。なにを、したいのだろう。わからなさがわかりたいという気持ちを作る。不完全さだけが愛を物語る。それらが光のような一瞬を描いて、今日も生きている。どこまでも不確かな未来を凪いで、その果てに在る最愛を見たいと思う。美しいものや、面白いものたちを信じて、真っすぐに、ひたむきに、人生を歩んでいきたい。