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就活失敗したゲイだけど死なずに生きてる 3

春、高校2年生になった。私の科は2年になると、部活動推薦での受験を目指す1組と、勉強で資格を取り推薦を貰う2組に分かれる。もちろん私は2組だ。

 

この学校ではセンター試験を利用して受験をする生徒は皆無。大昔に1人だけ慶応に受かった人がいたらしいが、その人は伝説になっている。2年から急に、1つで多く資格を取るように。と教師から急かされ始めるので、少し受験を意識する生徒も出てきたようだ。

 

私が目指す大学はセンター試験がある。たった3教科で、英語と現代文とあと1つは選択だ。進学校の人からしたら楽勝かもしれないが、私からすれば憂鬱で仕方ない。ひとまず、英語を勉強しなければ…と意気込む。

 

脳筋どもが全員1組に行ったおかげで、2組には文化的な輩が集まるようになった。運動部でも、ガッツリ部活に打ち込む気がない生徒や、元々文化部の男子などもいたので、私は去年よりクラスメイトと話せるようになっていた。

 

ある時、美術部に男子が入部してきた。背の高い、おっとりした青年。林くんだ。

 

彼は、私が高1のときに唯一"日本語が通じる"と思った生徒で、互いに高校の愚痴を話していた。去年は別クラスだったため機会が無かったが、2年になって教室が同じになり、結構話すようになった。高校で初めてできた友達かも知れない。

 

林くんはマイペースだが主体性がある。男女分け隔てなく会話もできるため、人望もあると思う。私は美術部に入ってきてくれたのが彼で良かった、と密かに安堵した。

 

林くんには藤岡という友達がいた。2人とも弓道部にいたが、2年を境に辞め、別々の文化部に入った。"都落ち"組だ。藤岡はかなり陰湿な性格。盗聴器が付いたペンを通販して学校に持ってきたり、教師がエロ動画を学校で見ていた現場の証拠などを握っては、特になにもせずニヤニヤするのが好きなようだった。林くんも噂好きなので、藤岡経由で仕入れた下世話な話を私に教えてくれる。2年になってからは私、林くん、藤岡の3人で話す機会が増えた。

 

高校の美術部は、秋のコンクールに出展するのが主な活動だ。その準備として、武田鉄矢は私たちに水貼りを教えてくれた。

 

部室にあった大きなキャンパスを倉庫から持ってきて、机に並べる。長年使われているのか、先輩たちの名前が彫り込まれていた。そこに、二人掛かりで濡らした紙を貼る。シワができないように慎重に伸ばすと、洗濯したワイシャツのようにツヤがでる。触ると冷たく、ぷるぷるしている。林くんは初めての美術っぽい光景に感動しているようだった。

 

「すげぇ!鉄矢先生、マジすごいっす。画家になった気分!!」

 

単純な人は、すぐ調子のいいことを言う。犬が喋ってるみたいだが、別にかわいいとは思わなかった。

 

テーマを決めて、9月頃までに絵を描きあげる。使う画材もなんでもよかったが、アクリル絵の具が安価だし、ちょうど持っていたのでそれを使うことにした。私はその時、将来をカードゲームのイラストレーターになる方向で考えていたので、巨大な空想生物を描こうと思った。かっこいいので龍にする。大きさの対比として、人物も添える。

 

林くんはというと、なにやら悩んでいる。テーマ選びに苦戦しているのか、逐一鉄也に相談に行く。その後一週間ほど経って、林くんのキャンパスの前に靴が置いてあった。なるほど、靴かあ。

 

私は参考を用意しなかった。要らないわけではないが、見て描くと忠実になりすぎて面白くない。答え合わせ程度にした方が描いてて楽しい。今回はそれがアナログというだけ。すぐに構図が決まった。空に浮かぶ、山より大きい龍。機械的なコードが背から生えて、たてがみのようになびいている。その手前に、アンニュイな顔した青年の絵。妙にガタイが良い。

 

林くんも、靴の下書きが出来上がってきているようだ。なかなか上手い。既に画家になりきっている林くんは、鉄矢に塗り進め方を聞いていた。イメージはセピア&ノスタルジックとのこと。

 

武田鉄矢は、温厚な顔でときおりとんでもないことを言い出す。

 

「それじゃあ、林の絵にはコーヒーを掛けよう。」

 

そう言っておもむろに、持っていたコーヒーを林くんのキャンパスに掛け出した。茶色い染みが滴る。

 

「鉄矢先生!!!本気ですか!?」

 

林くんが仰天している。私も正気か?と思った。

 

「お茶でもいいぞ。」

 

そういって今度は、にこやかにお茶を掛け出す鉄矢。彼が言うには、絵の下地にコーヒーやお茶の渋をつけると、セピア調で統一されて質感が出るのだという。理屈はわかったが、飲食物を画材に使うというのはやはり抵抗がある。しかし、林くんも既にノリノリでお茶を垂らしてる。2人ともすごく楽しそう。

 

私も、彼らに混ざってお茶をぶっかけた。

 

 

 

 

 

9月。夏休みも明けた頃、部室はガヤガヤしていた。コンクールは10月なので、ギリギリまで部員が絵の具と格闘しているのだ。私は受験を控えているが、ひとまずコンクールの絵に注力するように言われていた。もうほとんど完成は見えている。

 

今回はパステルカラーで仕上げた。リアリティは求めたが、濁った色は使いたくなかった。当時、pixivで"空気遠近"という技法を知った私は、空気によって淡く青みがかったグレーを基調とすることをかなりイケてると思っていた。白の絵の具ばかり消費する。人物は、正直失敗。もともとガタイがあったのが、絵の具のせいで肥大化して完全なマッチョになってしまった。私の欲望が露わになる。

 

しかし、途中から飽きていたのでそれ以上こだわらず、隙間なく塗り終わった時点で完成とした。描き込みはぜんぜんだが、終わったという解放感でどうでもいい。

 

林くんも出来上がった。ダークブラウンの陰影に、乾いたベージュの光面。うっすらと靴が浮かび上がっている。なんだろう、屋根裏で見つけた古本の挿絵っぽい。ほぼ茶色だ。てか、予想していたが臭い。コーヒー臭、ぜんぜん消えてない。お茶と絵の具も混じって香ばしい匂いを放つ、でかい茶色の板。

 

しかし、林くんは満ち満ちていた。腕を組み、顎をつまみ、ふーむ。と目を細めている。彼が満足ならそれでいい。

 

私たちは出来上がった絵を搬入し、市のアートスペースに運ぶ。ここで入選した人はまた別の場所で展示ができる。私と林くんは入選した。他にも女子生徒が何人か。美術部としては、まずまずの結果だったのではないだろうか。

 

この日、私たちは先輩から、次の部長と副部長を決めるように言われた。女子に1人、かなり上手い子がいたのでその子が部長、私が副部長になった。私が役職に就くなんて。運動部だったらありえなかった。特技があれば、人はなんだって認められるのかもしれない。

 

そうして、コンクールが終わった。

 

 

 

 

しかし、私にはやるべきことがある。デッサンだ。受験に本腰を入れるため、秋頃からすぐ再開した。入部したての頃はコピー用紙に描くだけだったが、今後は本番を想定した紙と鉛筆でやるという。私は、鉄矢に教えてもらった画材屋に行き、ドイツ製のステッドラーという鉛筆を異なる濃さで何本かと、デッサン用紙を購入した。

 

最初のモチーフは、カボチャとワイン瓶。まずは時間を気にせず描けと言われる。そうするとやはり、納得いくまで1ヶ月以上掛かった。何度も何度も描き直し、紙の繊維がツルツルになるまで描く。指先で鉛筆の粉を擦る。だんだん影の部分が黒からしっとりとした色に変わる。影は、黒色ではないのだ。

 

この頃に、モチーフと机の接地面にはかすかに隙間があり、そのキワを鉛筆で描き込むとモチーフの存在感が増すことを知った。デッサンとは物の見方なのだと、鉄矢は教えてくれる。

 

一枚に何時間もかけているとあっという間に月日が経つ。季節は冬になっていた。

 

受験まであと一年と少ししかない。しかし、私にはまともに見せられるデッサンが秋に描いた一枚しか無く、気ばかり焦る。私は鉄矢に、美術予備校に行ってみたいと伝えた。彼は市内の画塾にコネがあるので、紹介してくれるらしい。そこに描いたデッサンを持っていき、アドバイスを貰えとのこと。

 

12月、私は市内の予備校へ向かった。そこは実家から自転車でもギリギリ通えるくらいのビルの一角にある。見た目はボロい。事務室のドアを開けると、秘書の方がいた。先生は合評中で、終わったら会ってくれるらしい。

 

そわそわしながら待つ。初めて美術予備校の中を見た。棚のあちこちに石膏像が置いてある。真っ白い人間が、腕から先を切り取られてポーズを取っている。勇敢そうな兵士に、物憂げな美女。造花?のリンゴや梨、ブドウが入ったカゴもある。床には、なんだろう。網で包まれた大きいガラス球。

 

これらはデッサンモチーフだが、当時の私には全部ちぐはぐに見えた。昔の油絵に飛び込んだようだけど、私はこういう"美"って感じの空間は好きではない。クラシック音楽も、だからなに?と思う。漫画やテレビが置いてない部屋はなんか変。ガソリンのような匂いと、鉛筆の匂いが混じっている。非日常で落ち着かない。

 

しばらくすると先生が降りてきた。

 

先生の印象は汚かった。着てるシャツがよれよれ。かなり腹が出ている中年男性で、姿勢が悪い。無精髭が生えてて、目に光を感じない。見た目通りのおっさん声で、話しかけられたので挨拶した。鉄矢の紹介で来たこと、隣県の美大を目指してること、次の講習会に参加しようかと思っていることなどを話す。

 

描いたものを見せた。カボチャとワイン瓶。先生はふん、と鼻を鳴らした。

 

「高2でこれなら、まぁいいんじゃない。」

 

どっち。いいの?わるいの?

 

もっとはっきりした答えが欲しかった。不安なんです。これからどうしていけばいいのか。私は美大、受かれそうですか?どうですか?…聞きたくなったけど、たった一枚で何言ってんだと思われそうでやめた。

 

私は大人の男性がこわい。こっちの機嫌をあまり考えず、ぶっきらぼうな態度で話されると怒られているのかと不安になる。でも、ほとんどは怒ってない。見た目ではなにを考えてるのか分からないので、こいつは人間なのか?と思う。人によっては穴熊のようにしか見えない。

 

穴熊さんは、私に次の講習会の日程と費用を伝えてくれた。とりあえず、来てみたら?とのこと。4万かかると聞いてウッとしたが、行きたかったので頼むしかない。お母さん、ごめんなさい。

 

母はあっさり費用を出してくれた。

 

 

 

 

初めての冬季講習。3日間それぞれ異なるモチーフでデッサンをする。最初は石膏像。次は静物。最後は人物。

 

会場は思ってたより人が多く、20人くらいがせまい部屋に椅子を並べて座っている。ほとんどが女子高生で、たまに男子。男子がいることにホッとした。私は中央くらいの席に座って、目の前にある髪もじゃもじゃの女性像を描き始めた。

 

美大の実技試験には制限時間がある。講評会でも本番と同じようにする。今回は午前と午後に分けて、計6時間。合評で1時間。言われた時はどうしようかと思った。だって私、一枚に1ヶ月掛かってるし…。

 

午後に差し掛かり、焦る。私はなぜか、石膏像の髪の毛ばかりを集中的に描いてた。体はほとんど手つかず。髪部分は迷路みたいに入り組んでいて、描きやすい。全体のバランスを見ようとも思ったが、手が止まらない。いつもそうなのだ。PCでキャラの絵を描くときも、目から描く。目が気に入ったら顔全体。顔全体が描けたら髪。さいごに、体を描く。このやり方でないと描けない。イラストのときと同じようにデッサンした。

 

流石に不安になって、穴熊さんに体をどうすればいいか聞いた。しかし、君はいいよ。そのまま髪の毛完成させな。と言われてしまう。

 

とうとう合評の時間。

 

できあがった女は頭部だけ色が濃くて、体は線だけのヘロヘロだった。なぜか悲しそうな顔をしている。劇画ギャグっぽい。頭でっかちの私みたいで、実物とぜんぜん似てない。

 

合評では一人一人にコメントする形式だった。もっと大人数の大手では、上手い人しかコメントしてもらえないらしい。そんなところ怖くて行きたくない。私の絵は運悪く、左上に置かれた。順序的には1番目。なに言われるんだろう…と期待と不安が混じる。すると、穴熊さんは私を絵を指すなり、ゲラゲラと笑いだした。

 

坂上くん、これ…笑 いやでも、まあいい。髪の毛は時間かけただけあって、描けてるよ。うん。このまま他の場所も描きな。ふふ、いや、でも…これ、おっかしーな。アハハ。」

 

お前が指示したんだろ!と思ったが、不思議と嫌な気持ちはしなかった。

 

 

 

2日目は静物。机の上にあったのは馬の石膏像と、石のブロック。下にはボーダーの布。そして手前に、輪切りのグレープフルーツ。

 

昨日より難しそうだと思った。準備のために鉛筆を研いでいるとき、穴熊さんは私に声を掛けてきた。

 

「とにかく、見て描け。手元を見るな。」

 

手元を見るなと言われても、見なきゃ描けないじゃないか!そう思ったが、穴熊さんがいうには手元を一切見ないでモチーフだけ集中してみてても描けるという。もっと説明が欲しいが、言う通りにした。

 

最初はどうしても手元を見てしまった。手元を見ずに字を書いてみれば分かるが、後で見るとグニャグニャに歪んでいる。同じように、手元を見てバランス取らなければ絵も歪んでいくのでは…と不安だった。だが、何度も視線をモチーフに移していると、少しずつ慣れてくる。最後の方になると、たまに確認する程度で、ほとんど手元を見ずに描けるようになった。

 

合評の時間。出来上がった絵は全体的に白く、描き込みは物足りなかった。穴熊さんは講評の前に、1番手前に座っていた女子を指差した。

 

「君、この絵の中でどれが1番と思う?」

 

その女子生徒は少し悩んでから、そろそろと指を差した。

 

「どうしてそれが1番と思った?」

「なんとなく、きれいだったから。」

 

それは私の絵だった。思わず瞳孔が開く。嘘だろ、他にも上手い絵は沢山あったのに。たしかに、私の絵は近くで見ると荒かったが、遠目で見ると色がきれいに見えたかもしれない。講評のとき、初めて自分の絵を遠くから見たのだが、手元では物足りなかった描き込みは遠くだと馴染んでちょうどよかった。穴熊さんはニヤつきながらなにか話していたように思うが、よく思い出せない。

 

こんなことあるんだ。穴熊さんのことを、少しは信頼してもいいのかもしれない。

 

 

 

最後は人物。ロングスカートを履いた女性のモデルが椅子の上に腰掛けていた。上着にはヒラヒラが付いている。

 

人物は得意だった。だって、ずっとキャラを描いてるから。中学1年のとき、少年ジャンプのファンアートを描いたのがはじまり。それからいろんな漫画のキャラを密かに描いていた。カカシ先生、アレン、六道骸

 

夢中で取り組む。ノリにノって時間を忘れていたが、前回、前々回と比べると全体の描き込みはずいぶん良くなったと思う。

 

ただ、致命的に顔が似なかった。

 

モデルさんはシュッとして美人だったのに、私の描いたものは顔がパンパン。体つきも妙にゴツい。誰かに殴られたように唇が自己主張していてショックだった。そうだ、私は女性を描くのが苦手だ。ゴツゴツしてないと描く気になれない。筋骨隆々の男キャラが好きだったし、そもそも女性の身体がどういう構造なのか考えたことなかった。男の身体の方が魅力的だから当然なのだけど。

 

自分では満足できなかったが、合評では割と褒められた。

 

「色合いがいいね。赤いドレスがちゃんと赤く見えるし、パイプ椅子の映り込みもしっかり描いてる。高2でここまで描けたら、おれはいいと思うよ。…ただ、顔は似てないなあ。これだとブスじゃん。モデルさんもっと美人だったろ。な、自分でもそう思うだろ?」

 

結構言うな〜、と思った。

 

 

 

 

3日間の冬季講習が終わった。描き終わった絵に皆がぞろぞろと謎のスプレーを掛けだす。後で知ったが、あれはフィキサチーフというもの。鉛筆の粉を紙に定着させるために使う。私も欲しいと思ったが、持ってなかったのでそのままの三枚をカルトンと呼ばれるケースに挟んで持ち帰った。

 

結果は、大満足だった。少なくとも下手とは一度も言われなかった。むしろ、全員の中で1番と指さされたことがめちゃくちゃ嬉しかった。私は間違ってない。このままの調子なら、現役で受かれるかもしれない。そうしたら一人暮らしができる。一人暮らしができれば、なんでもできる気がする。実家にいるのは苦痛だ。母はいつも金の心配ばかりだし、祖父母は年寄りすぎる。妹はまだ幼いし、かわいいから好きだ。でもそれ以外は全員好きじゃない。ノンケのふりは疲れる。一刻も早くこの家を出たい。自由になりたい。一人暮らししたら彼氏できるかな。好きな人ができたら二人で住みたいな。同い年くらいで、かっこ可愛い人がいい。私が描いてるイラストみたいな、男らしい人。受験まであと1年。待ち遠しい。早く大人になりたい。

 

その日の帰り。迎えに来てくれた祖父に、合評で褒められたことを何度も何度も話した。描いたものも見せる。祖父も嬉しそうだ。

 

「良かったなあ。りゅうのすけは、やれば出来る子だからなあ。」

 

当たり前だ、と思った。