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『就活失敗』について

gammy-nyan.hatenablog.com

 

2019年の秋ごろから書き始めたこのお話が、ようやく終わりました。誰が読んでくれているのかもわからず、なんのために書いているかもわからず、ただ鳥肌が立つように打った文字の羅列が、このような物語を生みました。

 

それが何だったのかと言えば、『私小説』で間違いないでしょう。

 

書き始めたときには直感で長くなるな、とは思ったのですが、書き終わるまでに4年程かかっています。ここまで書くつもりはなかったのですが、書いてしまったからには説明したいと思います。

 

『就活失敗』は史実を元にした小説です。私が高校に入学してから、大学受験を経て就職活動に失敗するまでの過程を綴ったものです。元はと言えば私は、取り立てて面白くない人間でした。周りの人に嫌われたくないので、自分の気持ちに嘘をついて平気な顔ばかりしてきました。それは神様にとって面白くなかったのでしょう。どんどん生きづらくなっていき、逃げるように私は美術の世界に足を踏み入れました。

 

そこが案外居心地がよくて、描くことで様々な気づきを得たように思います。自分や他人の気持ちが、わからなかったのです。嬉しいも悲しいも、なかったのです。ただ識別できない感情がとめどなく溢れてきて、それをひたすらに紙にぶつけていたら、美大に進学しました。

 

美術の世界は確かに私に合っていました。腹の底から笑いあえる友達もできたし、恋愛だってできました。しかし、どうしてか私はそれでもうまく生きることができませんでした。なぜなら人生の大部分を構築する就職活動に失敗したからです。

 

いい企業に入って、いい給料をもらって、人生を立て直したかったんだと思います。失敗だらけの日々を、破壊したかったのだと思う。しかし、そんな邪な考えをもって制作に臨んでもいい結果は得られませんでした。それどころか、心身ともにぼろぼろになっていきました。生きることすら、ままならなくなりました。

 

就職をしないと人生が詰む、そう本気で信じていた私はとても惨めな生き物だったと思います。他人を蹴落として入った大学なのに、次も蹴落とせると思っていたのですから。でも、実際に蹴落とされたのは私でした。休学しても、翌年に就職活動をする気にもならず、次第に私は就職することを諦めるようになりました。

 

そんな時に心に残っていたのは、お父さんの存在です。私は母子家庭出身で、父との関わりが殆どありません。おまけにセクシャリティもゲイなので、男性に対して穿った目を持つ、かなり変な人だったのです。

 

うまくいかない理由を探しました。お父さんがいないこと、ゲイであること、実家にお金がないこと、身体が痩せていること、親との関係が悪かったこと、精神病を罹患したこと。自分の欠点を見つけて必死に克服しようとしていました。だって辛かったから。自分の欠落を認めないと、笑っていることなんてできなかったから。

 

手あたり次第に周りにぶつかりました。ぶつかって初めて痛みを知って、私の形ってこうなんだと学び、次第に私は私の輪郭が見えてくるようになりました。そのうちに、『papa』という言葉が脳裏に浮かんで離れなくなりました。

 

居てもたってもいられずに、1本のアニメーションを作りました。一人の男性が自立する過程を描いたもの。テーマ性は見る人にはほとんど伝わらず、社会的波及性もまるでない、独りよがりな作品になったと思います。それでも私は気に入っていて、今でも私の根幹には、この作品を作った時の血のような思いが流れていると言えます。制作することは、私の生きがいなのだとこの時に気が付きました。

 

『papa』を作った段階で、私の中のいざこざはある程度霧散していました。消えてしまったわけではなく、別の形になったのだと思います。例えば記録として残される本のように。そうして私は、自身を取り戻すかのようにどうでもいいもの、取るに足らないもの、無駄なものを愛するようになりました。必要とされていないものたちが、なんだか自分自身であるかのように思えたからです。

 

『就活失敗』は、私小説であり、エッセイであり、詩であり、純文学なのかもしれません。自伝とか、ポエムとか、自己陶酔とか、ナルシズムとか、そう呼ばれても無理はないかもしれない。でも、ジャンルなんて読む人が好きに付ければいいと思います。私の役目は書くことまでですから、あとは皆さんが好きに解釈してくださればそれでよいです。ここまで読んでくれたあなたなら、私が結構適当に書いているってことはうっすらわかってくれるかもしれません。実は私、適当なんです。別に意図とかなくて、意図なく書かれたもののほうが意味を見つけやすいってことを、ただ知っているだけなんです。

 

もう一つ、私から語るテーマ性があるとすれば、それは『純粋さ』です。裏を返せば、不純ではないこと。

 

不純って何でしょう?淫らな性の話や政治家の汚職でしょうか。それとも過労や老々介護などの社会問題でしょうか。あるいはもっと身近なものかもしれません。でも、私が言いたいのってそういう具体的なことではなくて、もっと抽象的な話です。

 

私にとっては、無意識で作られたものこそが純粋なもの。つまり意識を込めて作られたものは不純だということ。

 

無意識ってなんでしょう?私にも説明は難しいんですけど、簡単に言えば夢中ってことです。物事に夢中になっているときって、実はそこまで脳は働いておらず、身体が本能に従うまま迸っているような感覚が、皆さんにもあるはずです。

 

そのときに身体を動かしているのは人間の意識ではなくて、もっと逆らい難い『理』みたいなものなのだと、私は思います。因果とも言えるでしょうか。仕方ないとか、やるせないとか、そういう無常観というのにも近い。とにかく、私という意識が介入できることなんて、実はほとんどないのです。いくら私が就職したくても、私を構成するものがそれを望まないのなら、私に新卒という切符は手に入らないのです。

 

小難しい話をしてしまいました。が、誰しもが当てはまることだと思います。競争を強いられて、結果を求められて、そういうのってやっぱり疲れるんだと思います。もっとなんか、ゆるくてきとうに生きたいってのがみなの本音だと思います。私もそう。

 

そんな本音からなんでこんな話が出てくるんだよ!ってくらい、重めなテーマが入った物語ではありますが、気になさらないでください。私にもよくわかってません。こんな話を書いて、なにがしたかったんでしょうね、本当に。

 

でもすっきりしました。私って一応、書ける人なんだと思えたから、これからも書きます。ヘビーなものも、そうでないものも、ないまぜになったごちゃごちゃを、滅茶苦茶にしてやりたいと思います。

 

もし最後まで読んでくださった方がいるなら、本当にありがとうございます。好きも嫌いもどうでもいいも、全部嬉しいです。あなたのために書いているのかもしれないね、たぶん。それっていい話?どうだろうね。でも、そういうことにしておきます。人生に躓いた人の支えになれるものが書けたなら、それでいいんじゃないかなあ。私にとっても救いになるしね。言葉って人を生かしも殺しもしますよね。気を付けたいなあ、本当に。でも、面白いものを書きます。それはそれで、仕方ないからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

観たい人がいるかもしれないので、置いておきます。

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『就活失敗』を書く上で、参考にした本。