がみにっき

しゃべるねこ

MENU

就活失敗したゲイだけど死なずに生きてる 7

高3の春から続いたスランプは、センター試験が終わるまで続いた。

 

希林の言っていた、"ぼやけた印象で描け"という言葉の意味を考えながら描いていた。だが答えは出ない。このままでは浪人する羽目になるかもしれない。鉛筆を握る手がギリリと唸る。こんな閉鎖的な場所に追加一年なんて耐えられるはずもない。しかし、焦燥する思いとは裏腹に、デッサンの出来は無残だった。細かい描写にこだわる余り、全体のバランスが崩れてしまっていたのだ。

 

これは答え合わせになるが、希林の言っていたことは、他人になった気持ちで完成をイメージするということだった。

 

手元を見て描くのもそうだが、頭の中のイメージで描いているとモチーフを見る時間が減る。線描が増えて、部分的に色が濃くなるなど全体感が損なわれていく。色の死は絵の死である。人間の目に瞳孔が付いていて昼と夜では見え方が異なるように、モチーフも、第一印象とじっくり観察した後の印象は全く異なる。

 

希林が言っていた視力の話も、この時差のことを指している。正しく形が取れた上で色味が合っていれば、細部が間違っていても人は正しい絵だと錯覚する。

 

料理と同じように、絵も鮮度が大事だ。あまりこねくり回すと色が死んでしまう。迷わず決めて、調節はほんの少しで済むくらいまで経験を積まなければ一人前とはいえない。

 

あの頃の私は、わざわざ悩みめいて食材を手垢まみれにしていた料理人のようなものだった。原因は焦っていたから。現実でもインターネットでも満たされず、唯一得意だった絵で調子に乗って他人を見下していた私は、盲目も同然だった。デッサンとは審美眼を養う考え方、ひいては物の見方の修行であると痛感させられる。

 

高3の夏期講習では、ガムシャラになって紙がビリビリに破けたものを合評に出すこともあった。幸い、1週間の講習期間のうち、後半の数日は色面構成に当てられていた。私は這い出すようにデッサンの沼地から足を引っこ抜いた。

 

色面構成とは、国公立美大のグラフィック専攻にはもれなくある、二次試験のこと。お題が与えられて、それに自分なりの回答を示したポスターを製作する。アクリル絵の具を使うのだが、私は絵の具が大の苦手だった。

 

なぜなら、ずっとPCで絵を描いていたから。作画ソフトは便利だ。手が汚れることもないし、修正・変更もサッとできる。消しゴムで最初から無かったことにするのも簡単。デジタル絵画に慣れた人からしたら絵の具は面倒すぎる。⌘+zできない現実は不便だ。

 

苦手意識から、この頃まで色面構成をまともに取り組んだことがなかった。一般的にはデッサンとともに、2-3年はじっくり取り組まないと受からないと言われていたが、もう残り半年しか時間がない。文句を言いながらも必死で課題をこなした。

 

初めての色面を3枚描いてそれぞれ合評。自分では色が汚く思えて納得いかなかったが、思ったより褒められた。塗り方はかなり下手だったと思う。平塗り(ローラーを使ったムラのない塗り方)は出来ず、分厚く油絵のように塗り重ねていた。講師に苦笑いされたが、おそらく、技術ではなく発想や構成が良かったようだ。

 

夏期講習が終わった段階で、次に予備校に通えるのはセンター試験の後だ。この期間は学科の勉強もするように、とタミオ先生から言われていた。大丈夫、時間はまだある。学校では絵を描いて家で学科をやればいい、と甘い予測を立てていた。

 

 

 

 

 

 

 

12月、センター目前。わたしはなにもしていなかった。やっていたのはデッサンだけだ。色面構成と面接対策、あと最大の難関学科試験について、まるでお手上げだった。

 

取り組んでないのにお手上げというのも変な話だが、言い訳させてもらうと、苦手意識のあるものを一人で取り組むのは至難の業だということだ。家で監督無しで放置されればそりゃあ、好きなことしかできないというもの。それに私には逃げ場所があった。どこかと言えばそう、ポケモンだ。

 

私は運悪く、『ポケットモンスター ブラック/ホワイト』が発売される年に受験生だったのだ。発売日は10月だった。迷わず買い、昼間はデッサンか漫画、家ではポケモンしかしていなかった。

 

ポケモンは奥が深いゲームだ。ただストーリーをクリアするだけなら一週間あれば問題ないが、育成にハマると何ヶ月も費やせる中毒性がある。私は凝り性で、ゲームフリーク社によって仕掛けられた甘い罠の数々に引っかかった。個体値厳選、卵孵化、バトルファクトリー…

 

左手の指をフルに使い、右手では数値を紙にメモする。ある程度慣れると、特定の数列を見ただけでなんのポケモンか分かるようになる。遺伝子の優秀な子供が生まれたら、さらに優秀同士で交配させる。すると、ゆくゆくは伸ばしたいパラメータが全てMAXの最強個体が出来上がるのだ。

 

私は育てることにしか興味がなく、対戦はほとんどやらなかった。ガチ勢が怖かったのもあるが、対戦にまで手を出したら流石にまずいとセーブを掛けていたのだ。どちらにしても育成だけで受験までに400時間以上プレイしていたので変わらなかったと思う。

 

結局、センター試験までに学科の勉強でやったのは、過去問を一回だけ。たった三教科で一回だけというのはもはや冒涜的ですらある。もちろんそれも無勉だったが、国語だけはなぜか8.5割取れた。しかし他は壊滅的だった。現社は4割、英語に到っては3割も取れなかった。慌てたが、過去問に取り組んだのがクリスマスの時期だったので、もう諦めてこれで受けることにした。

 

 

 

 

 

 

 

雪が降る寒い会場だった。医療ドラマのように無機質で、天井の高い大学講堂の中で、私はセンター試験に挑んでいた。こんなに殺伐とした空間は初めてだ。私は無勉であることを周りに悟られないように平静を装った。図体の大きな試験官が不正に目を光らせる。カンニングなんてするわけないだろ。と思うが、試験への自信は全くなかったので挙動不審になった。何度も消しゴムを落とし、その度に手を上げて怪しまれる。鬼のような顔した試験官が近づいてくるのにビクビクしながら答案と向き合った。

 

3教科のみだったので、1日で終わった。家に帰って自己採点すると、なんと過去問よりも点数が取れていた。それでも平均5割半。今思うと、私は本番に強いタイプなのかもしれない。ほぼ無勉でこれだけ取れたなら十分だろうと思った。

 

余談だが、センターの国語に出てきた長文で、『海辺暮らし』という作品があった。海辺に住むお婆ちゃんが工業汚染された海産物を食べ、狂っていく話だ。途中まで穏やかな描写は、物語がピークに迫るに連れて支離滅裂になっていく。自分の命よりも土地への愛着を重視する、か弱いはずの老婆の底知れぬ怒りが恐ろしい。純粋に面白くて試験なのを忘れて読み耽ったのを覚えている。

 

センターが終わった後、タミオ先生に学科の結果を伝えに行った。

 

「自己最高得点でした。」

「おお、良かったじゃない。それで、何点だったの?」

「平均五割半です。」

 

空間が一瞬、静まり返った。

 

「…じゃあ、実技満点取らなきゃね。」

 

タミオ先生にそう諭されたが、彼の目は全く笑っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

夫妻がお金は気にしなくていいというので、1-3月まで、私は予備校に通わせてもらえることになった。期間のほとんどは色面構成の特訓に当てられた。また、一次試験の方は過去問を中心とした手のデッサンに取り組んだ。

 

目も回るように毎日が過ぎていく中で、私のスランプはいつのまにか解消されていた。手は自分のものをモチーフにするしかないため、必然的に観察量が増える。人体は、ある程度描き慣れていたためコツを掴めていたのだ。油が乗った肉のように生き生きとした手が描けたと自負している。

 

そして、3月を迎えた。いよいよ本番が近づき、毎日呼吸が浅くなるほど緊張していた。どうしても不安になって、試験前々日に希林に尋ねた。

 

「先生、僕受かりますか?」

 

震える声を遮るように、彼女は言った。

 

「君はもういいから、行ってらっしゃい!」

 

彼女なりの肯定の言葉だったのかも知れないが、いたいけな現役生を送り出す言葉にしては、あまりに無慈悲だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

試験前日は隣県のホテルに泊まり込んで、絶対に遅刻が無いようにした。絵具を大量に持参し、明日の試験で使うためにとっておきの色を先に作って置くのだ。当時は青い色がお気に入りで、コバルトブルー、ピーコックブルー、ウルトラマリンなどを中心に混ぜ合せた。好みの色合いが出来上がれば、小分けにしてラップに掛けて保存する。全部で15個くらい作った。

 

興奮してその日は寝付けず、深夜2時くらいまで起きていた。睡眠時間は4,5時間だろうか。これで遅刻していたらと思うとぞっとするが、なんとかそれは免れた。

 

試験当日の朝。ホテルのモーニングはバイキングだった。ウインナーやスクランブルエッグ、サラダにスープ。いつもなら取りすぎてしまうが、この日は満腹にならないように控えめに済ませる。

 

クロッキー帳を開く。私がこの受験期間愛用していたのはCROQUISの青色で、表紙のOの部分をドラえもんに描き変えた相棒だ。白紙のページに、試験のイメージトレーニングとして今の率直な気持ちを書き出す。

 

”落ち着いて、今まで通りに描く。”

 

最後に書かれた言葉は、自然と出た本音なのだろう。私は荷物をまとめてバスに乗り込み試験会場へ向かった。

 

 

 

 

 

大学に着いた時、校内は迷路のようだった。細い通路が上下左右不均衡に入り組んでいて、エッシャーの絵画さながら無機質な雰囲気を醸している。エントランスにはサモトラケのニケの巨大な胴体が羽を広げ、階段の踊り場には卒業生の絵画が不敵に微笑んでいる。

 

体育館に着いた時、既にかなりの受験生がたむろしていた。引率の教授が声を張り上げる。指示を出され、私たちはいくつかのグループに別れた。先頭には学部生が立っており、移動する順番が来ると順番に、手を挙げて列を先導した。

 

試験は教室で行われるようで、私たちは学生に連れられて移動した。歩くスピードが軍人並に早い。なんでこんなに急いてるんだ!と思った。前の人の踵を踏まないように恐る恐る進む。

 

一次試験の教室に着いた。狭い空間に机が6つほど並び、その周囲を簡易な椅子が取り囲んでいる。モチーフが置いてあるのを想像していたが、机の上には何もない。これから持ってこられるのだろうか。椅子に腰掛け、そわそわしながら待っていると、教授と学部生が入ってきた。

 

手にはプリント。それを各人数分配られた。裏返しに机に置かれ、時間が来るまで表を見ないようにと言いつけられる。

 

その間に、周りの受験生がぞろぞろと鉛筆を並べ、周囲を威圧しだした。怖い。私は予備校にあまり通わなかったのと、道具への拘りが薄かったため、節約も兼ねて鉛筆の種類は最低限で済ませていた。目の前の女子生徒などは、書道具をまとめる用の長い巻物を取り出し、ずらっと並び立てた。鉛筆だけで30本近くある。邪魔じゃないのだろうか…

 

そうこうしている間に時間が来た。教授の指示に合わせて、私たちは陸上のクラウチングスタートのように、一斉にプリントを裏返した。

 

『スポーツの道具と手を組み合わせて自由に描写しなさい』

 

なるほど、今回の試験は想定だったのか。通りでモチーフが無いはずだ。

 

モチーフを見ながらのデッサンならある程度コツを掴めば誰でもそれっぽくは描ける。だが、想定は無から有を生み出さなければいけない。そのため、経験値が少ない人には困難な課題だろう。

 

しかし、私は余裕だった。なぜなら、以前を剣道具を描いたことがあるから。あれは超細密に、かなりの時間を掛けて描写したので、想定でもきっと描ける。剣ではなく面の方なら、複雑だから被りもでないだろう。テーマに悩んで唸っている人も多い中、私は速攻で構図を練り始めた。

 

お面を手前に大きく描写し、後方に小さく、画面に向かって剣を振り下ろす手を描き加える。

 

楽しい。試験であることを忘れて描いた。筆が乗るとはこのことなのだろう。リズムよく、歌を歌うように鉛筆の粉を重ねていく。黒鉛の濃さで強弱をつけ、消しゴムで緩急をつける。指で影の色を伸ばし、キワが現れると高揚感で股の下が熱くなる。熱いエネルギーが腹を伝って喉元まで迫り上がる。以前細密で描いた部分はしっかりと手が記憶していた。白紙の画面に、架空の剣道具が現れ始める。

 

絶好調だ。気持ち良くなり、周りの絵をちらっと観た。上手いと思える人は全然いない。なんだよ、拍子抜けだ。これならこの部屋で、私が一番上手い。

 

挑発するように、描きかけの絵を壁に掛けて遠くから眺める。印象もこれでいい。このまま時間の許す限り、最後まで突っ走るだけだ。

 

気をぬくな。取りこぼすな。

 

これまでの全部の時間が指先に凝縮されていく。冬だというのに、額に汗が滲む。

 

描いている途中、ふと思い出すことがあった。

 

文句を言いながらも夢中でこなしていた日々のこと。なにも目標がなかったこれまでの人生に比べて、なんて生き生きとした2年間だったのだろう。美術を志してから、私は人を巻き込むようになったし、人が集まるようになった。助けてくれる誰かが現れるようにもなった。

 

才能とはなんなのだろう。人から見て上手いと思われることか、自分で上手いと思えることか。それとも両方なのか。よく分からない。そういう風に、俯瞰して何かを考えられてるうちは才能なんて宿っていないようにも思える。

 

とにかく、自分は夢中だ。今も、この2年間も、焦りしかなかった。周りと比べてどうだとか、年齢の差とか、プロはこれくらい描けているだとか、小さなことに捉われて苦しかった。歯ぎしりが増えた。悪夢ばかり見るようになった。しかし、それも今思えば、夢中だったのだ。デッサンを通して物事に没入できていた。人はそれを俯瞰できない馬鹿だと思うかもしれないが、才能とは馬鹿になれる分野だと言い換えても通じるのではないか。

 

当時、あの試験時間中に、ここまでのことは考えられなかった。しかし、それでも当時の私にだってひとつだけ確信を持っていたことがある。その気持ちを膨張させ、歌うように言葉にしているのが、今この文章を書いている私だ。

 

当時の自分は、きっとこう思っていたのだろう。

 

ずっとこの時間が続けば良いのに。これを描き切ってしまうことを、寂しいとどこかで思っていたはずだ。終わってほしくない。これが夢で、覚めたら美大受験を始める前に戻ってしまうかもしれない。そう感じられるくらい、私は現実の方が夢の中だったのだ。

 

そして、さらに大事なこと。

 

私は、デッサンが好きだったのだ。物の見方や価値観を、更新していく作業が好きだったのだ。"描けるから描いていた"ことがいつのまにか、"好きだから描いている"に変わっていたのだ。

 

私はあの試験時間中に、走馬灯のように今までの2年間を追体験していた。もちろん、ことばで認識できるようになるのはもっと先だが、頭より先に体で、いや、心の方で、実感していたのだと思う。

 

私の手元には、生き生きとした剣道具が出来上がっていた。しかし、まだ一箇所書き込んでいない部分があった。お面を被った時に、ちょうど首元辺りに、本来は名前を刻み込むプレートがあるのだ。なにか書きたかったが、普通に名前を書くのは嫌だった。どうせ別の紙にでも書かれているからだ。当然、何も書かないのはもっと嫌だ。

 

私はおもむろに、今の自分の1番の気待ちをネームプレートにしかと刻み込んだ。

 

『絶対合格!!』と。

 

鐘の音が響いた。本来は授業の終わりを告げるチャイムだが、その日の私にとっては、人生の次のステージに上がるための、福音だったように思う。

 

こうして、一次試験が終了した。各自、書きあがったものを机に置いたまま退出する。その後、一次試験の合格発表があるのだが、ここで受験者が3割ほどに絞られる。しかし、私は放心状態だったのと、なぜか通るだろうと確信していたので次の試験のことだけを考えるようにしていた。もちろん、一次試験は通過していた。

 

 

 

 

 

 

 

二次試験もするりと、抜けるように終わった。

 

課題は"無印のお茶のポスターを制作する"というもの。教室に着いた時、机の上にはペットボトルの飲料と、絵の具が五本並べられていた。

 

絵の具が支給の五色に制限されていたため、前日の作り置きした絵の具が全部無駄になってしまった。色面構成は費やした時間がほとんどなく、塗り方にも自信が無かったため、不意打ちのような試験内容に面食らってしまった。(剣道だけに)

 

私はアイデアに悩んで、1時間ほど時間を使ってしまったので、結局、過去に描いた練習の中から使えそうな構図を流用することにした。以前、神経回路が錯綜するSFチックな色面構成を書いたことがあった。それが、飲料の爽やかなイメージに使えそうと思ったのだ。中央に小さくお茶のペットボトルが光り、周りを囲うように回路を組む。中にシナプスが飛ぶ様子を下書きする。よし、いけそうだ。

 

最後にキャッチコピーを入れなければならないのだが、なにを入れればいいか分からなかった。なんとなく、お茶の色味がビールっぽかったので『ほとばしる、のどごし』と書いた。お茶なのに!

 

その後は塗ってない部分がないように最終調節をして、なんとか時間内に描き終えられた。

 

二次試験の後、私たちは教授に指示を受け、教室で待っていた。1人ずつ呼び出され、面接会場となる教授が待つ部屋へと案内される。私が呼び出された時、部屋には教授が3人いて、その中の1人から質問を受けることになっていた。机には私が描いた二次試験の絵が置いてある。

 

教授に質問される。

 

「今回の出来を100点満点で言うと?」

 

私はなにを言われても、とりあえず元気に即答すればいいだろうと思っていた。

 

「99点です!」

 

どうだ、すごいだろう。とでも言いたげな私に対して、教授の目は冷静だった。

 

「その引く1点はなんで?」

 

…?なんでそんなことを聞くのだろうと思った。返答を考えてなかったが、すぐに取り返せる完璧な回答を思いついた。私は自信満々に、かつギャグっぽくヘラヘラしながら答えた。

 

「お茶の広告なのに、ビールの広告に見えることですね。」

「…は?」

 

やばい、滑った。教授が全く笑っていない。真っ直ぐな目でこちらを睨んでいるように思える。ここまできたら怯んではダメだ。私はめげずに最後までヘラヘラし続けた。

 

面接が終了した後は学部の先輩に連れられて、エントランスまで見送られた。一緒に歩いた先輩は、黒髪でとろんとした顔の女性だ。たとたどしく話すのが印象的で、こんなおっとりした人がこの大学に受かれるのか、などと失礼なことを考えていた。

 

途中、先輩に声を掛けられた。

 

「どうだった?試験。」

 

私は質問に対して、答えを用意していたかのように喋った。

 

「やりきりました。これで落ちたらこの大学が悪いっすね!」

 

先輩はあは、と笑った。

 

「そこまで言えるなら心配ないね。」

 

小風で枯れ枝が揺れる。帰りの坂道を撫でるように、蛇行しながら帰宅した。全ての景色が受験前には重々しく見えたが、今は軽やかだ。空が果てしなく広く思える。寒風すらも私の晴れやかな気持ちを応援してくれているようだ。

 

やれることは全てやった。心残りは本当に無かった。全てが終わった開放感と、合格発表まで特に何もしなくていい自分の状況を考えて、私は幸せだったと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、それもつかの間。

 

受験の合格発表を待つ間、気が気でなかった。どうして、あんなに強気に豪語してしまったのだろう。帰り道を送ってくれた先輩の顔が眼に浮かぶ。これで落ちたら立つ瀬がないじゃないか。

 

発表までは一週間ほどあったのだが、毎晩悪夢を見た。追いかけられる夢。追いかけられて殺される夢。そして、不合格になる夢。一度だけ合格になる夢をみて大喜びしたが、起きた時に現実じゃないことにショックを受けて憔悴してしまった。

 

合格発表の前日。その日は丁度、当時流行っていた『魔法少女まどか☆マギカ』の10話が放送される日だった。10話は神回と言われ、私も合格発表そっちのけで視聴していたのを覚えている。ワルプルギスの夜と呼ばれる劇中のラスボスが飛来し、まどか達を苦しめる。作中のほむらというキャラに何度も感情移入して泣いていた。

 

私も明日、運命が決まる。

 

発表は午前10時。手紙ではなくインターネットで結果を見る方式だった。10時キッカリに、データがアップロードされる予定だ。9時頃から家族が居間に集まり、行く末を見守る。

 

10時になった。私はスマートフォンで、大学のホームページにアクセスする。その中の《受験生の方へ》という項目をタップする。

 

あった。このファイルが合格者のリストだ。このデータの中に、私の未来が全て託されている。

 

もしも落ちていたら?

 

そうなれば浪人だ。私は滑り止めを受けていないから、もう一年同じことをしなければいけない。地元からも出られない。浪人したとしてもその次受かるとは限らない。予備校の先生とも喧嘩したり、同級生にも強気な態度を示しておいて、落ちるわけにはいかない。いかない、が。

 

怖い。

 

怖すぎて手が震える、中を直視できない。どうすれば、どうすればいい。どうすれば、

 

いや、どうしようもないのだ。ここまで来たら見るしか出来ない。受かっても受からなくても先に進むしかない。ええい、なるようになれ。

 

家族全員が息を呑んで見守る中、私はアップされているデータを開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結果は、合格だった。

 

なんども見間違えてないか確認する。たしかに、私の番号だ。夢じゃないだろうか、頬をつねって確認する。

 

痛い。夢でも、ない!

 

受かった。現役合格だ。

 

私は泣かなかったが、母と祖母は涙を流していた。今の出来事が信じられない。ずっと一人でしてきたことが報われた瞬間だったから、驚きと興奮でどうにかなりそうだった。

 

しばらく呼吸ができないくらいの衝撃だった。努力が報われた、そのことが私を有頂天にさせ、大学入学までの言動を自己正当化しまくる要因になった。おれは間違ってなかった、間違ってなかった、間違って、無かっただろ。ざまあみろ!

 

今までの苦労を跳ね返すように呪詛を吐いた。

 

私はすぐに、受かった報告を鉄矢とタミオ先生に報告するため、電話を掛けた。

 

プルルルル…

 

『…おう、どうした?』

『先生、受かりました!!!!現役で、合格しました!!!!!、!!!!!』

 

喜びののあまり声が大きくなってしまった。すると、向こうはしばらく無言になり、その後ぼそりと呟いた。

 

『…………そう、良かったな。』

 

あれ、なんでこんなにテンション低いのだろう。もっと一緒になって喜んでいいのに。てか、声もなんか低い気がする。風邪気味なのかな?私はとりあえず、本当に良かったです、本当に良かったです。と何度も繰り返し電話を切った。

 

通話後、訝しげに携帯を見ると、通話記録に残っていたのは、なんと穴熊さんの番号だった。間違ってかけていたのだ。やってしまった…。と思ったが、合格の嬉しさですぐどうでも良くなった。

 

その後は鉄矢とタミオ先生にも電話で連絡を取った。2人ともとても喜んでくれた。一先ず恩師への報告が済んだところで、私は友人とカラオケに行くことにした。

 

RADWIMPSを熱唱する。有心論ふたりごと、揶揄、25コ目の染色体、愛し、オーダーメイド…とにかく我を忘れて歌った。おれは受かった、受かった、受かったんだ!もう受験はしなくていい。遊んでいるだけでいい。最高の気分だ!

 

カラオケが盛り上がる中、ふと友達が言った。

 

「なんか大きめの地震あったらしいよ」

「え、どこで?」

「わかんない。今調べる。」

 

友達が携帯の地震速報を調べている。

 

「なんか東北のところみたい。」

「まじか、大変だね。」

 

その時はへぇ、と思って気にも止めなかった。うちの地元からはかなり離れた場所だから、どうせ大したことないだろうとたかを括っていた。

 

「あれ、でも震度7とか書いてある。」

「7?!阪神淡路大震災レベルじゃん。怖いな。」

「怖。被害とかかなり出てそう。こっちは地震とかこないからいいよね。地形的に山で守られてるし。」

「だよね。台風も来ないし。…あ、次この曲いれよ。」

 

ポルノグラフィティの曲が流れる。軽快な音楽に合わせてノリよく歌い、友達の合いの手もこだまする。鼓舞されるようにいきものがかりの『帰りたくなったよ』を入れた。センチメンタルなJ-POPが私の心を癒す。よく頑張ったね、お疲れ様。これで君は自由の身だよ。と吉岡聖恵が囁いてくれるようだった。

 

結局フリータイムで4時間ほど楽しんだ後、夕方になったのでその日は解散した。

 

 

 

 

 

 

帰り道、駅に立ち寄るとなにやら道がガヤガヤしていた。人通りもやけに多い。どうしたのだろうと思っていたら、道で新聞を配っている人たちが大勢いた。

 

「号外!!号外!!!!!」

 

わたしはスルーしたが、きっとあの地震のことなのだろうとは直感で理解した。

 

初めて見る光景だった。どことなく空の色も澱んで見える。カラスが一斉に飛び立つ。赤茶けた雲が狼煙のような形をして空を横切っている。嫌な予感がする。それらはまるで、これからの日本に起こる悲劇を教えてくれているかのようだった。

 

私はどことなく急ぎ足で帰宅した。