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就活失敗したゲイだけど死なずに生きてる 9

プレ新歓から2週間ほど経ち、本番の新歓は行われた。

 

会場は大学から坂道を下って30分ほど歩いた繁華街の中にある、小さなライブハウスだ。長年美大のイベントに使われているようで、ライブハウスとしては老舗に入る。会場の足場は、学生に酒をこぼされまくったせいなのかニチャついており、汚い。その分年季が入っているため、音響設備やプロジェクターはなかなか本格的。たかが宴会芸ではあるものの、やろうと思えば観客を沸かす見せ物だってできる。

 

先輩からは事前にしつこく忠告を受けていた。

 

「滑ったらかなり恥ずかしいぞ。本気でやれよ。」

 

入学早々そんなことを言われると怖いじゃないか。しかも、ここは美大。仮装など、クリエイティビティを発揮できるものには本気で取り組む輩が大勢集まっているのだ。みんな負けじと一発芸に臨むようだった。

 

私は直前までアイデアが思いつかず、焦っていた。滑りたくない。笑いを取りたい。しかし、予算も時間もない。

 

そうだ、パロディネタだ。パロディならネタ元があるので安心、かつ有名どころなら確実な笑いが狙えると踏んだ。そしてアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』に出てくるエヴァ初号機のコスプレをすることを選んだ。

 

コスプレをして何をやったかというと、肉を食った。初号機が、第14使徒ゼルエルと戦う名場面がある。四つん這いになり、暴走モードに入ったコントロール不能の初号機が、本能のままにゼルエルの駆体を齧りとるシーン。あの残酷さの中に迸るパトス。熱気と、生物の根源的恐怖をぜひ、演じてみたいと思ったのだ。

 

アニメ本編の音声を流しながら同じく四つん這いになり、あらかじめ用意しておいたケチャップ味の肉を手を使わずに食べることにした。絶対ウケる、間違いない。

 

企画前日まで、私は準備にてんやわんやだった。まずあの特徴的な造形をどう再現するか悩んだ。なんとなくイメージできるのは、段ボールを紫に塗って顔を描いたものを頭に被り、紫の全身タイツを履くことだ。蛍光色の部分は、黄緑のカラーテープを貼ればなんとかなる。出来はかなりチープそうだが、はなからギャグ全開で行くつもりだったので問題ない。この方法で行くことにした。

 

制作は1年教室で行った。もともと画材は持っているので、制作費は5千円も掛からなかった。しかし、アクリル絵の具で段ボールを塗っている時、ある致命的な問題を思い出した。私は平塗りができないのだ。塗った段ボールはムラだらけで、近くで見ると非常に汚かった。そして作業中は運悪く、同級生が大勢いる中だった。

 

「お前、めっちゃムラになっとるやん(笑)」

 

美大生はこういうところにやけに厳しい。手作業にアラがあると、本人の能力の問題だと決め付けるのだ。だが、これは能力ではない。適性の問題だ。私には絵の具の才能は無いが、分かっていても指摘を受けると腹が立つ。大体、私は試験を通ったのだ。文句があるなら受からせた教授に言え。

 

「うるさい。紫は、ムラが先に出るから紫なんだよ!」

 

私は謎の言い訳をかました。これはタミオ先生が言っていた言葉だ。実際、紫の絵具は扱いが難しく、水分の含ませ方を丁寧にしないとすぐムラになるのだ。むしゃくしゃしながらも出来上がった段ボールに目を描き、上から黄緑のテープを貼る。そこに、別で作っておいた角のパーツを取り付ける。30分ほどで完成した特殊装甲は、なんて慎ましい出来なのだろう。我ながら感動は……しなかった。

 

本番の前日は、同級生の家で演技の練習をした。そこに、明日の幹事である先輩が、視察と言う体で現場を見にきた。私はそのとき、実際のアニメ映像を流しながら動きを真似していた。それを見た先輩は、なぜか茶々を入れてきた。

 

「がみーは心配だな〜。本番滑りそう(笑)」

 

酷すぎる。初日から遅刻した手前、舐められてるのはわかるが、練習してる人の目の前で、言うな!私は先輩に言われたことが引っかかり、急激に不安になった。だが今更引き返すことはできない。全力で、やるだけだ。

 

そして翌日、本番を迎えた。

 

予想に反して本番では爆笑が起きた。思いの外音声が爆音で、その迫力と被り物のみすぼらしさが上手くギャップを生んだのだろう。テープなんてところどころ剥がれ落ちていたのにも関わらず、終わった後は歓声も上がった。

 

演じてる途中も、ウケてるのは分かった。だが動きが激しすぎたせいで被り物がずれて何も見えなかった。前後不覚に肉を食らう、四つん這いの初号機。後で観客席側に座っていた同級生に、どうだった?と周りの反応を聞いてみた。

 

「大爆笑だったよ。ある先輩なんて『泣くほど笑った』って言ってた。」

 

これぞ、仮装冥利に尽きるというものだ。

 

その後はいつもの流れだ。二次会・三次会と飲み会は続き、私は受験時代のストレスを払拭するかの如く飲み騒いだ。1年生の春から夏に掛けて、私は酔うと性格が豹変するようになっていった。原因は様々考えられるが、一番は欲求不満だろう。大学の友達とは楽しくやっていた。授業も頭を使う内容だったし、なにより高校時代とは違う話の合う同級生ができたおかげで、以前よりもはるかに充実した日々を過ごしていた。ではなにが不満だったのか。

 

入学して早々、派手な学生生活の裏で私を悶々とさせる事態が起きていたのだ。

 

 

 

 

 

  

その頃の私は毎日自炊をしており、スーパーに買い物に行くことが日課だった。その日も大学近くの『マルエー』で野菜を見ながら、今日食べるものを何にするかcookpadで検索をかけていた。

 

私は簡単な料理しか作れない。煮るか焼くかのどちらか。蒸したり、揚げたりといった高度な調理方法は後片付けが面倒なのでやらない。味付けも目分量。その日も確か、豚キムチとかもやし炒めとか、簡単な献立の作り方をわざわざ調べていたと思う。

 

そんな時、隣から声がした。

 

「おっ、がみーじゃん。」

 

見ると、同級生が立っていた。彼は身長が高く、包容力のありそうな見た目をしている男子だ。朴訥とした顔つきに、低い声でのそのそと喋る。乳製品コーナーを物色していた彼は、おもむろに話しかけて来た。

 

「今週の課題忙しかったなぁー。」

 

自由な声色だ。こちらの思考など意に介さない、おおらかな態度。きっと伸び伸び育てられてきたのだろう。呑気さに感心しながら、私は返事をした。

 

彼は人のことをよく褒める。制作のスケジュールが過密だったので、一緒に過ごす時間が長くなり、同級生は全員あだ名で呼び合う間柄になっていた。そのため、制作の話題をよく口にした。合評で一位だった子や、手先が器用な子、教授から賞を貰っていた子のことなど。彼は人への敬意を言葉にする時、本当に嬉しそうに笑う。

 

彼の顔はほころび、頬に窪みを作っている。首元はしっかりと長く、肩に掛けて撫でらかなカーブを描き、血色の良い肌つやをみせる。触ったら暖かいのだろう。衣服の隙間から覗く鎖骨は意外なくらい出っ張っていて、無骨な表情を作っている。男性的な身体と子どもらしい性格とのギャップに、胸が締め付けられるように痛んだ。

 

私についても、なにか言ってくれればいいのに。

 

入学当初から気にはなっていた。ドット柄の青いパーカーを羽織っている、背の高い彼。見かけによらず、服の趣味はかわいいところとか、ついリーダーシップを発揮してしまうところとか、なにかと"要素"が詰め込まれていた。

 

でも、ノンケなんだろうな。

 

私は中学生の時に片思いをしたことがある。陸上部の同級生の男の子。背が小さくて気が強く、よく私に意地悪をしてきた子だった。あの時は性欲に目覚めたばかりだったし、恋といってもささやかなものだった。隣にいても、好きな女性のタイプなど、私がさめざめとしてしまう話ばかりを聞いてきた。そんな中で告白なんかもできるはずなく、私は卒業と同時にその思いを捨て去ったのだ。

 

今回もきっとそうなる。ゲイを隠してきた18年間で、磨かれてきた直感が私に警告する。彼とは人種が違うんだ。変に望むんじゃない。どうせ辛い目に合うに決まっている。それなら初めから、希望なんて持たない方がいい。

 

彼とは早々に会話を終わらせて、変な気持ちを持たないようにしよう。入学してからずっと、彼には淡々とした態度を取り続けていた。ところが、その日はなにかが違った。

 

「なあ。」

 

彼は顔だけを私の方に向けて、言った。

 

「今日がみーの家行っていい?」 

 

彼の目は真っ直ぐにこちらを見据えていた。鼓動が一気に早くなる。言っている意味がよく分からなかった。2人で会うの?目的は?なぜ、急に?張り詰めた感情が伝わらないように平静を装った。

 

「いいけど、なにするの?」

 

私は、はやる気持ちを抑えながらも彼に聞いた。

 

「ノープラン。」

 

なんだよ、それ。と思ったが、用事もないのに来てくれることが嬉しくそのままOKしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は末っ子だ。姉と兄がそれぞれおり、子供のように可愛がってもらったらしい。海外に住んでいた経験もあり、おおらかな性格はそこに起因するのだろう。シラフでもフレンドリーで、なにかと声が大きい。グループでいても、いつの間にか彼が中心になって物事を起こすことが多かった。

 

ある後輩は、彼を『ジャイアンみたいな人』と呼んでいた。しかし、私からしたら『王子様』に見えた。とにかく雄っぽいのだ。むせ返るような男の色気。

 

その日も彼は私の家に来るなり、なんの断りもなくベッドに横たわった。シングルサイズのベッドでは小さ過ぎるのか、彼の足がはみ出ている。家主を差し置いてくつろいでいる姿は、大型のネコ科動物にも見える。ライオンがサバンナで昼寝しているみたいだ。

 

「あー。人ん家ってやっぱ居心地いいなぁー。」

 

隣で声がする。私だったらこうはならない。人の家に行くと緊張するし、気も使ってしまう。自分をよく見せようと、普段はしない片付けや盛り上げ役なんかも積極的にやってしまい、疲れるのだ。

 

私たちは2人でご飯を食べ、なにげなく話した。次の課題のことや、教授への愚痴。同級生の誰々が付き合ったこととか、たわいもない話をしていたと思う。食事が終わると、彼は寝転がりながら言った。

 

「風呂借りていい?」

「いいよ。ちょっと待って。」

 

私は衣服入れの下段を開けた。

 

「タオルはこれ使って。終わったらそこのカゴに入れといてくれればいいから。シャンプー・リンスは中にある。シャワー終わったら必ず小窓開けておいて。湿気でカビるから。あと食器はそのままでいいよ。後で洗っておくから。」

「サンキュー。」

 

タオルを受け取った彼は、キッチンに向かった。

 

私の家には脱衣所がない。そのため、服はキッチンで脱がなければいけないのだ。彼の裸が見えないようにドアを閉め、居間でテレビを見る。扉の向こうで彼が着替え始めているのが分かる。ガサゴソと布が擦れる音。ときおり彼の吐息が交わって、私を変な気分にさせる。

 

やめろ、考えるな。

 

すると、ドアが少しだけ開いた。彼は顔だけをこちらに覗かせるようにして、にやりと笑って言った。

 

「一緒に入る?」

 

時間が止まったかと思った。

 

「い、いや……。」

 

私は上手く反応できず、反射的に断る姿勢を見せてしまった。妙な空気が流れる。私が返事に窮するのを見て、彼は悪戯っ子のように歯を見せて笑った。

 

「とか言って。」

 

気持ちの蓋がすっぽ抜ける思いだった。彼はこの場を冗談ということで片付けると、悪びれもせずに風呂に入っていった。

 

きっと純粋なのだろう。単に、そういうノリが好きなだけのはずだ。彼の邪な笑顔が脳裏に焼き付いて剥がれない。

 

私はドア越しに考えた。彼と話していると、悪魔に心臓を握られているような気持ちになる。自分のペースでいられない。なぜ彼は、あんなに無邪気でいられるのか。

 

シャワーの音がする。一定間隔でその音が止み、鼻歌が聞こえて来る。15分ほど経って、シャワーを浴び終わった彼と入れ替わるようにして、私は着替えを持ってキッチンに入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私が風呂から上がっても、彼は相変わらずベッドを占領していた。クッションの上に腰掛ける。しばらく、2人でテレビを見た。

 

くだらないバラエティ番組。大食いタレントが、一心不乱に大皿を貪る姿が映される。ときおりわざとらしい笑い声が挟まると、私と彼も一緒になって笑った。

 

時計は、夜11時半。

 

今日はこのまま床で寝るつもりだった。彼はベッドを明け渡してくれそうにないし、代わりの布団も無い。私はクッションを枕のようにして、床に寝そべった。

 

すると、彼が自分のすぐ横をぽんと叩いた。

 

「こっち。」

 

再び、二回ベッドを叩く。

 

「いいの?」

「いいって。こっちこい。」

 

私は彼の横に潜り込んだ。シングルベッドに男が2人。至近距離に、彼の身体がある。

 

そのまま前ならえの体制になり寝そべった。すると彼はこちらに振り返り、私をくすぐり出した。脇から腹に掛けて容赦なく手が伸びる。笑い声を必死に抑え、彼を制止する。しかし、彼は手を離さない。

 

思わず私も、彼をくすぐり返す。2人で身体を触り合う状況。側から見れば、子供がじゃれているような光景だろう。もちろん、2人はもう大学生だし、なにより私はゲイだ。こんな状況にいて平静を保っていられるわけがない。

 

これは、BL漫画のそれなのだ。

 

「マジで、もう、やめて……。」

 

消え入りそうな声で彼に懇願すると、彼はようやく手を離してくれた。息を荒くして、2人で仰向けになる。笑い疲れて腹筋が痛い。気づくと、私の手は彼の手に触れていた。そっと握ってみると、彼も握り返してくる。

 

そのまま手を手繰り寄せ、2人で向き合う体制になった。互いの息が掛かる距離。シャツの隙間から、肋骨が皮膚をうっすらと押し上げているのがわかる。

 

彼は、本当にノンケなんだろうか。男2人で、ここまでいちゃついたりするだろうか。確かめたかったが、もし彼がそうでなかったら、気持ち悪がられたらと思うと、とても聞く勇気はない。

 

私たちは向かい合わせの態勢で布団を被った。リモコンでテレビを消し、上体を少し起こして電気のスイッチも消す。薄暗い室内。私は布団の下に潜り混んで、彼の胴体に腕をまわした。彼の手が私の頭の上に乗る。

 

生まれて初めて、男の人に頭を撫でられた。

 

脚のほうに、固い何かが触れる。

 

私たちは寝るまで、"そこ"を触り合っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから5日間、彼は毎日私の家に泊まりにきた。

 

毎晩一緒にご飯を食べ、添い寝する2人。私はもう、彼はゲイなのだと思った。もしくはバイなのか、分からないが彼が家に来る以上、付き合っているという暗黙の了解がそこには存在していると思えたのだ。

 

幸福だった。入学してすぐに、男子と同棲が出来ている。彼は魅力的だ。このままの流れで、周りには秘密にして2人で仲良くやっていこうと、そう思っていた。

 

だが、幸せは長くは続かなかった。

 

彼が家に来なくなったのだ。6日目に、突然。私はいつものように学校終わりに連絡を待っていた。しかし、その日はなんの音沙汰もなく、彼は自分の家に帰ってしまった。

 

次の日も連絡を待ったが、一向に来ない。そうして一月あまりが過ぎた。

 

苛つく。信じたくないが、彼はやはりあちら側の人間だったのか。私との5日間は単なる気まぐれで、ボディタッチも全て友達相手にしていたことだったのだろうか。

 

そう思えば彼の行動に辻褄は合う、が、納得いくはずがない。私はもう彼を見るだけで胸が高鳴り、跳ね上がる気持ちを抑えられずにいた。

 

学校にいても、家に帰っても、寝ている時でさえ、彼のことを考えてしまうのだ。あの日の続きをする夢を何度も見た。高揚し、ひたりと汗ばむ肌を密着させ、舌を絡ませる彼と私の姿を何度も思い描いた。その度に、今の思いを伝えようか悩む。

 

伝えたい。というか、知りたい。

 

君はゲイなの?

 

それともバイ?

 

もしノンケなら、あの5日間はなんだったの?

 

私のことどう思ってるの?

 

知りたい、知りたい、知りたい。

 

 

 

 

 

 

しかし、聞く勇気は出なかった。聞いてしまえば、私がゲイだとバレる。彼が口外すれば、噂は学校中に広まる。そうなれば、私はきっと居場所をなくすだろうし、友達だって失うかもしれない。せっかく努力して入った学校で、4年間も辛い思いをしたくない。だから、言葉にしてしまったら終わりだ。

 

忘れろ、忘れろ、忘れろ。

 

あの日のことをきっぱりと忘れてしまえば、それで全て丸く収まると思った。彼の気まぐれなんて、学業に専念していればそのうちにどうでもよくなる。そう思い込もうとした。

 

しかし、動き出した歯車はそう簡単には止まらない。

 

苦しかった。学校では彼を意図的に避けるようにしていた。声をかけられても無視したり、わざと睨みつけたりした。傷つけたくて仕方ない。私の苦しみをわかって欲しい。彼がいなくなってさえくれれば、晴々とした気持ちで大学生活を過ごせるのに。

 

私が拒絶しているのが分かると、彼は学校で私に話しかけなくなった。そうして、季節は夏になっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼との接触がなくなっても、気持ちは変わらなかった。わだかまりを抱えたままの学校生活は想像以上のストレスで、私の心身を蝕む。彼と女子生徒が仲良さそうに話すのをみると、胃に穴が空きそうだった。

 

あいつら、付き合ってるんじゃないか。だとしたら許せない。いや、どっちを許せないのか。

 

疑心暗鬼も限界だ。私は全てをはっきりさせるつもりで、彼にメールを送った。

 

「今まで無視してごめん。よければ2人で話したい。」

 

これでケリをつける。私の決死の思いは、たった2行の文章に収まった。30分ほど待つと、彼から返事が来た。

 

「いいよ。エントランスでいい?」

「大丈夫。」

 

夏休みが始まってすぐの頃だった。汗ばむ季節に、濃い緑の木々が佇む。セミの鳴き声に合わせて照りつける日差しに、真っ白いシャツをなびかせながら、私は学校のエントランスへ向かった。彼は、Vネックのシャツにアジアンボーダーのハーフパンツを履いて、携帯をいじりながら待っていた。

 

「やっほ。」

 

私は彼に挨拶した。

 

「おう。」

 

彼は目線だけをこちらに向けて、また携帯をいじり出した。しばらく沈黙が流れる。先に会話を切り出したのは私の方だった。

 

「あのさ、今まで学校で無視とかしてたじゃん。」

「うん。」

 

彼の携帯をいじる指が止まった。

 

「あれは、なんというか本当は君と話したくてそうしてたっていうか、自分でもうまく言えないんだけど。」

「うん。」

「だからこれからは普段通り、話したいっていうか……いや、話したいです。ごめん。」

 

伝えたい本心は、これだったのだろうか。彼を目の前にすると、うまく言葉が出てこない。

 

彼は私が謝ったのを見て、しばらくの間黙っていた。エントランスの階段の下、日陰で冷やされた風が私たちの身体を撫でる。道中で湿ったシャツが乾き、気化した汗が体の熱を奪っていく。真っ青な空に入道雲が抜け、コンクリートが熱で揺らめく。真夏の昼下がり。

 

「そうかー。なんとなく、話しかけるなオーラ出てたから気を使ってた。」

 

彼はそう言って、携帯をポケットにしまった。特に怒ってはいなかった。かといって悲しむわけでもなく、淡々とした口調で返事をしてくれたのは、どこか寂しい。

 

「これからはまた話しかけるよ。」

 

彼は続けてそう言った。このまま会話が終わってしまえば、一旦は仲直りができたことになる。だが、この会話の本来の目的は、彼との仲直りではない。私は真実を聞きたかったのだ。

 

私のことどう思ってますか。

 

その一言が出てこない。彼の顔を見ると、恥ずかしいような情けないような、形容しがたい気持ちが溢れてくる。

 

「おれ来週から実家に帰省するから、直接会っては話せないけど。Skypeでなら話せるから。」

「わかった。そうしよう。」

 

結局、彼への告白は未遂に終わった。私の心につっかえた粘りのある感情は、まだ疼いている。

 

私たちがエントランスから去った後、校舎の木に止まっていたセミがまた騒がしく鳴き始めた。段々と伸びる影、日差しもほんの少し和らいだ気もする。空は清々しいほど青く、西に向かって雲が薄く重なる。まだ夏休みは1ヶ月余りある。その間に、私は彼への思いを捨て切れるだろうか。

 

無理に決まっている。彼が、私に飄々とした態度を取り続ける限りは、この生き地獄は続くのだ。