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就活失敗したゲイだけど死なずに生きてる 2

扉を開けて出迎えてくれたのは3年の美術部の先輩だった。慣れているのか、くだけた感じで話してくれた。先輩はどうやら部長とのこと。男子生徒は自分だけで、他は全員女子と聞いていたので不安だった。ひとまず、挨拶した。部長は"ゆう先輩"と呼ばれているらしい。

 

私はドアの真ん前で後ろ手を組み、つっ立っていた。動かない私を見て、どうしたの?と、ゆう先輩が声をかける。

 

「入っていいよという許可を貰ってないので…」

 

我ながらふざけた返事をしたと思う。もちろん、皆に笑われた。

 

私は子供の時からなぜか絵が上手かった。中学の美術の先生にも結構気に入られていて、中1の時に靴のデッサンを描いたら見本用に飾られた。しかし、持ち帰る類の宿題はまともに出さなかったので成績は3くらい。一度ちゃんと描いたら、その年の成績が5になっていた。そのあと先生と廊下ですれ違ったときに挨拶したら、

 

「君にようやく5を付けられたよ。」

 

と言われた。うすうす絵が得意なのでは?と思ったが、確信までは至らなかった。

 

高校を選ぶときも美術高校を一瞬考えた。しかし、将来不安だ。そもそも県内の美術科のある高校は、私立で学費が高いか、電車で小一時間かかる市外かのどちらか。なんとなく諦めてしまった。

 

美術部も考えたが、やっぱり屈辱だ。女子はいいが、その頃私は男子として生きていたので、文化部を選ぶのはめちゃくちゃダサいことだと思っていた。私の高校は運動部についていけない生徒は必然的に文化部に入るしかない。実質、都落ち。最初から文化部に入る男子なんて、どうぞ虐めてくださいというようなもの。吹奏楽以外の文化部に人権などないと思っていた。

 

しかし、入ってみると気が楽だった。

 

先輩は理不尽なこと言ってこないし、そもそも真面目に絵を描く人が少ない。帰宅部の言い訳にしてる人か、オタクの女が多い。私は唯一の男子生徒だったので、肩身を狭くして粛々と先生に言われた通り絵を描いた。

 

描けたミロのヴィーナスの絵を渡すと、先生がおもむろに言った。

 

坂上、お前美大に興味はないか?」

 

俳優の武田鉄矢にそっくりな先生。本業は画家。

 

武田鉄矢は美術の授業で描いた絵をみて、私のことはもともと気に掛けてくれていたそう。なかなか、いい絵を描くやつがいるなと思っていたよ。と嬉しそうに言われた。鉄矢がいうには、この学校では勉強でいい大学には行けないが、美大なら関係ないとのこと。ずいぶん、ドラマチックな展開と思う。

 

だが、当時の私は呑気なことに、自分にそんな才能は無いと思っていた。そもそも、美術を選択して生きてる人の存在を考えたことがない。周りの大人は絵は褒めるが、お金を稼ぐ手段としては見ていない。手っ取り早く就職して家に金を入れてくれ、と暗に言われているようだった。絵を投稿していたのも単なる暇つぶしだった。

 

そんな私に、ポンと与えられた新たな選択肢、"美大"。

 

なぜか、スッと心に入ってくる。しかし、我が家に画集など一冊も無い。音楽はRADWIMPSしか聞いてない。そもそもお金をどうするのだ。美大なんて、ボンボンが行くところだろ。どうやって親を説得する。反対されるに決まっている。うちは母子家庭なんだぞ!と、半信半疑だった。

 

武田鉄矢が言うには、デザインを専攻すれば就職ができるとのこと。しかし、デザインの意味がわからない。美術って全部絵を描くんじゃないの?アートはわかる、テレビで見たから。しかし、ファインってなんだ????最初は用語を覚えるのでいっぱいだった。

 

質問をするうちに、美大には学科が色々あり、主に純粋美術(ファインアート)と、意匠(デザイン)に分かれていることを知る。ファインは食えないと鉄矢が言うので、私にはデザインしか選択肢がない。デザインの中でもグラフィック、製品、環境に分かれる。私立だともっとだ。費用の点で、はなから国公立しか選択肢が無かった私は直感でグラフィックを選んだ。

 

学費も、国公立は安いとのこと。一年で50万、四年で200万。半年に25万ずつ払えば学ぶことができる。美大に行くために多くの人は美術予備校に通うのだが、その学費は大手だと年100万近くする。さらに、夏期講習や冬季講習でライバルは集中的に学んでいく。中にはたった4日間で16万取る所もある。

 

とにかく最初は、かかる費用のことが気がかりだった。我が家にそんな大金はない。週1でラーメン屋でバイトしてたが、時給800円。職場の空気は怖い。おまけに、私は致命的に仕事ができなかった。おろおろと店内を動き回り、怒気を放つデカい男にビクビクしながら料理を運ぶ。冷水のつめたさにおっかなびっくりと白菜を洗っている時、店長にやんわりクビを告げられた。かなりショックだったので母にはクビとは言わず、人間関係がちょっと…と嘘ついた。

 

そんな私が将来のために貯金できているわけもなく、当時高校1年の晩秋。

 

時間がない私は、国公立のグラフィック専攻の中で、1番就職できそうなところを鉄矢に聞いた。鉄矢がいうには、自分が卒業した大学は就職もできる、とのこと。調べると隣県にある。名前は聞いたことなかったが、隣県なら受験の移動も電車で済む。家賃も安い。いけるかもしれない。もちろん、日本最高峰の芸術大学・東京藝大の選択肢もあったのだが、受験費だけで10万。旅費や家賃など想像しただけでめまいがする。論外だ。

 

数日掛けて美大受験のことを調べあげ、少し現実味が持てた。武田鉄矢の出身大学はかなりレベルが高い。デザイン科の倍率は相当ある。始めるなら早い方がいい。

 

私はその夜、美大受験したい旨を母に伝えた。

 

「なに言ってるの、お金はどうするの。」

 

大丈夫、聞いて。希望してる専攻は就職に強い。卒業生の進路は全てホームページに乗ってる。ほらみて、大企業にも大勢受かってる。人数比でみたら、卒業生の半分近くが大企業だ。学費も安い。隣県で近くて、移動費も掛からない。今の自分の学力では、一般大に行っても将来大きな収入は見込めないことは分かってる。高卒で就職しても、大卒より給料は圧倒的に低い。せっかく自分の絵のことを認めてくれる画家の先生がいて、ここまでピッタリの大学が見つかったんだ。高校は嫌いだ。地元からも出たい。今、少しだけ迷惑をかけるかも知れないけど、長い目で見たら絶対に後悔しない選択になる。信じてほしい。受験勉強のため予備校に通う必要が出てくるかもしれないけど、それは今から調べる。地元にもいくつかあるらしい。先生がコネを持ってるから、予備校は紹介してくれるって言ってる。勉強に必要なことも先生が教えてくれる。お願いします。やっと本気になれたんです。美大に行かせてください。

 

一晩中話した。母もやはり金銭面が気がかりだったのだろう。説得の末、なんとか"頑張るなら…"と当面の了承を貰った。

 

美術予備校は1番安いところを探す。通うのは無理そうなので、ひとまず講習会だけ参加することにした。普段は学校の美術室にこもり、黙々とデッサンをする。

 

グラフィック専攻の試験には、一次のデッサンと、二次の色面構成、三次の面接がある。その前にセンター試験も受けるが、ぶっちゃけ絵が上手けりゃ学科は三割でも通ることを後で知った。

 

武田鉄矢は週2日だけ在室している。そのときまでに与えられたモチーフを描いて、進捗を見せる、といった具合だ。鉄矢は県立美術館などで展示してる画家なので、とんでもなく絵が上手い。言うことに説得力がある。自分では描けた!と思って見せても、彼の指摘を受けた途端ぜんぜん歪に見えるのだ。私って、世界がこんなにゆがんで見えてたんだ…と落ち込む。しかし、直すと俄然良くなるので楽しい。

 

最初は1枚をひと月かけて描いたりした。鉄矢がいうには今はそれでいいとの事。こんなに一つの物事に集中する機会は今まで無かったので、描いてる途中いろいろなことを考えた。

 

私は絵が描けるではないか!宿題にはやる気が出ないのに、こういうことなら噛り付いてでもできる。こんなことで食べていけるなら、私は将来生活に困らないかもしれない。

 

今までなにをやってたんだろう。同級生の話に適当に相槌打って、テレビ見てゲームして、周りに合わせて生きていた。退屈だった。毎日どうやって暇をつぶすかしか考えてなかった。人生について考えたこともなかった。周りに従って生きてれば大人になれると思っていた。

 

本当に好きなものを人に言わずに生きていた。それが当然と思っていたし、本音を言うと周りに嫌われると思っていた。つまらない人間に囲まれて、それを楽しいと思い込んでいた。楽しいと言わないと、除け者にされるのが嫌だった。みんなと同じにならなきゃいけないと思っていた。 

 

なんで今まで、こんな簡単なことに気づけなかったんだろ。なんで、誰も教えてくれなかったんだろ。

 

描けば描くほど、今までの苦労が無駄に思えてくる。

 

腹立つ。

 

自分の才能を、気づかせてくれなかった大人に腹がたつ。もっと早く、教えてくれよ。中学で気づいていれば、ネトゲに時間を取られることもなかったかもしれない。美術高校を選んで、楽しい高校生活を送れたかもしれない。恋人だってできたかもしれない。受験勉強だって、もっと余裕を持って取り組めたかもしれない。

 

腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ。

 

なぜ、周りの奴らはヘラヘラしているんだ。こんなバカ高で、卒業しても大した職につけず、一生田舎から出られない。そんな人生でいいのか。なぜ、簡単に専門に行くとか言うんだ。学費いくら掛かるか知ってんのか?なぜ、勉強する気もない奴らの家に金があって、私の家には無いんだ。私にその金あったら予備校行くからくれよ。

 

腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ、腹立つ。

 

描けば描くほどムカついた。なんかよく分からんが、私の中には怒りとか憎しみとか、そういう感情も入っていたらしい。錆びた機械に油を注すように、動き出した私の心からは醜い感情がとめどなく溢れてくる。周りの人間が小さく思える。全員、バカ。生まれ直せ。クソ。

 

 

 

死ね。

 

 

 

 

死ね、死ね、死ね。

 

 

 

 

 

死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね。

 

 

 

 

 

死ね、死ね、死ね、死ね、死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんな死ね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも、あれこれ言っても仕方ないので、黙って描いた。とにかく、怒りのエネルギーを美大受験にぜんぶ向けようとした。

 

人はなにかに集中してる時ほど、望んでない幸福が訪れるもの。

 

私が美術部に入ってひと月ほどした時、部長のゆう先輩が定期的に私に声を掛けてくれるようになった。初めてオリエンテーションしてくれたのも彼女だ。背が低くて、ハキハキしてる。うちの高校には珍しいくらい、スカートも短め。後輩にも好かれている、かわいい先輩。

 

ある日、ゆう先輩にメアドを聞かれた。私は前にも女子にメアドを聞かれることはあったが、女性に興味がなかったのでその事がそういう意味だということをよく分かってなかった。

 

当然のように告白された。メールで。

 

やけにどうでもいいこと質問してくるなとは思っていた。その時の私はニコニコ動画でボカロ聴くか、2ちゃんねる美大受験板を見るか、ケモノキャラの絵を描くかくらいしか趣味が無かったので、めちゃくちゃキモい男子だったはず。

 

しかし、ゆう先輩はおくびにも出さず私のことを褒める。かっこいい。かわいい。一緒に映画観たい。どうかな?

 

ゆう先輩はかわいかったので、OKしてしまった。そのあと2人で映画館に行った時、正式に付き合うことになった。

 

ゆう先輩は、聞けばクラスの男子とほとんど関係を持っていて、私は16人目なのだそう。怒ったときは携帯逆パカする!と強気で言っていたことと、RADWIMPSが好きでよくライブに行く人だったことを覚えている。

 

何度もデートに誘ってくれた。毎回違う服を着てきて、それが凄く似合っていた。ボーダーの肌色シャツに、大きめのオーバーオール。ポッケに手を突っ込んで、ハンチング帽なんかも被っている。だぼだぼのセーターに手を埋めて、ゆるく歩く先輩は私から見てもかわいいと思った。

 

ゆう先輩はもともとボーイッシュなのだが、エスコートも慣れているようだった。私の知らない道をどんどん進んでいく。ただ私のことは常に気にかけてくれて、よく会話した。前に付き合っていた男がクズで、今も連絡とってくるとか。母親が小言を言ってきてまた携帯逆パカしちゃったとか。結構、破天荒な人だなと思った。

 

それなりに楽しかったが、毎回ご飯して夕方頃には解散。

 

「なにかしたいこととか無いの?」

 

手を握られながらそう言われたこともあったが、私が"なにをして良いのか分からない"と伝えると、ゆう先輩は視線を落とした。なにか失敗したのは分かったが、深く考えないでおいた。

 

季節が冬になったとき、私はゆう先輩と一緒に帰った。

 

私の地元は路面電車が走っている。冬は自転車では通学困難になるので、いつも路面電車を使う。駅は無人で、建物はかなりボロボロ。いかにもなローカル駅だ。

 

そこのベンチに腰掛けて、ゆう先輩と話した。手袋とマフラーでがんじがらめ。2人で白い息を吐く。なんの話をしたかはあまり覚えてないが、おそらく今ハマっているゲームの話とか、テストの点どうだったかとか、RADのライブの感想とか、そんな話だったと思う。

 

「ね、りゅうのすけくん。」

 

30分ほど話したとき、先輩が私を呼んだ。

 

「キスしよ。」

 

ついに来た、と思った。自分からはしてくれないと察して、言ってくれたのだと思う。だけど、私は正直逃げたかった。キス、したことない。こういう時は口でするのか?手の置き場は?どれくらい間を持たせればちょうどいいんだ?やばい、緊張する。

 

私がガッカリされない方法を考えあぐねいていると、先輩は言う。

 

「恥ずかしいならほっぺでいいよ。」

 

私は言われるがまま、ゆう先輩の頰に顔を近づける。柔らかいものが唇に触れる。初めて他人とキスをした。こういうことで、合ってるんだろうか。

 

人が雪を踏む音がする。照明が仄かに点滅する。

 

「嬉しい。」

 

ゆう先輩が笑った。

 

 

 

 

 

 

私はその日から、急にゆう先輩のことがどうでも良くなった。メールするのも面倒。彼女の誕生日が1月だから、プレゼントが欲しいとねだられたが、何がいいのか分からず母に聞いて、5000円くらいのピアスを選んでもらった。プレゼントを渡すと先輩は喜んだが、私はこんなことに5000円も使った…と内心後悔していた。ゆう先輩がご飯に誘ってくれても、したいゲームがあるから。と断った。我ながら酷いやつと思う。

 

ある日ゆう先輩に呼び出された。

 

こうなることはなんとなくわかっていた。先輩は怒るだろうか。泣くかもな。悲しむのかな。申し訳ないな。でも、仕方ないじゃないか。私から言ったんじゃない。向こうから告白したんだ。私はゲイだけど、ノンケになれるならなりたい。ゆう先輩は本当にかわいいと思う。彼女とならエッチができるかも知れないとあの時は思った。母に彼女ができたことを告げたら嬉しそうに、どんな子?と聞かれた。私も嬉しかった。母が安心している。私もこれで普通になれる。普通の家族として、それなりにやっていけるかも知れない。私だって、普通の幸せを手にしてみたい。それくらい、望んだっていいじゃないか。

 

自分を諌めながら先輩のいるところへ向かう。

 

そこは高架下だった。周りは田んぼ、山、電柱。車が遠くを走っているのが見える。先輩は自転車に腰掛けて待っていた。

 

「急に呼び出してごめん。今日はちょっと、言わなきゃいけないことがあって…」

 

先輩が話し始める。

 

私たち、付き合ってもう3ヶ月くらいだよね。だけどりゅうのすけくん、私の家に行きたいって一回も言ってくれたことないよね。私、何度も言ってくれるように試したけど気付いてた?気付いてないよね。本当に私のこと好きなのかなって思う。りゅうのすけくんの事は友達からも本当に優しい人だって聞いてるし、私もそう思う。だからこれはすごく言いにくいことなんだけどね。あのね。私、元彼とずっと連絡とってるの。もう結構前から。りゅうのすけくんと上手くいかないってこと、元彼に相談してたの。その事も会話でチラつかせて、嫉妬してくれるかなって思ったけどやっぱダメだった。鈍感なのかな?あとこの前私がご飯に誘った時、ゲームを理由に断ったよね。あれはショックだったよ。逆の立場だったらひどいと思わない?まぁ、責めるつもりはないんだけど。あー、うん。まぁ、色々言っちゃって申し訳ないけど、りゅうのすけくんにはお礼を言いたい。短い間だったけど、楽しい思い出も色々できたと思う。これからは、それぞれ別々の道進もう。だから私たち、別れよう。私はもうすぐ卒業するけど、りゅうのすけくんは美大受験頑張ってね。これからも元気でいてね。またなにかあったら連絡してね…えっ、ちょっと、あれ、ごめん。泣いてるの?えっ、なんで?え、泣かないで。ごめん、ごめんって。

 

そう言われた時、泣いていたのはゆう先輩ではなく私の方だった。先輩が話しているところを見ると理由もなく涙が出た。嗚咽で変な声になる。私が泣き出したのをみて先輩は慌てた。私が上手く喋れないでいると、先輩は慰めてくれた。

 

違う、慰められるのはゆう先輩の方だ。傷ついたのは私ではなく、ゆう先輩の方なのに。

 

「ごめんね。」

 

ゆう先輩とはそれきり他人になった。