がみにっき

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化膿性恋愛依存症

烏がモミジの葉をついばんだ。人は苦しいとゴム風船のように縮んで、つま先から押しつぶされるようにして嗚咽が漏れるのだ。ぐにゃぐにゃと変形した神経の一部が、外気と布団の気温差に気圧されて縮こまる。痙攣とまではいかなくても、身の震えを自分で抑えることができないのは、やはり身の異常を感じる他ない。

 

発熱、悪寒、喉の痛み、それから酷い頭痛。

 

何かに感動して生まれる感情がなぜ正だと決めつけるのだろう、負の感情によって心動かされることだって沢山あるのに。

 

頭蓋を鈍器で殴られた後のような(実際にそのような経験はないが)割れるような痛みのせいで眠れなかった、誰かに助けを求めてもきっと無駄だろうと思ってしまうのは、普段から人間関係を軽視してきた罰だろうか。のし棒で薄く引き伸ばされた平たい夜が光を閉じ込め、疲労と節々の痛みに耐えかねて、私は暗がりの中コールを鳴らす。

 

3桁の拙い数字から、橙色の防災服を身につけた精悍な男性が何名か、私に質問をする。指先に妙な機械が取り付けられて冷たいベッドに固定される。瞳孔を照らす明るさに思わず翻って、隣に立つ男の話した質問を復唱する。

 

「これね、皆さんに聞いてるんですけど、今日何日か分かりますか?」

 

11月……と反射的に答えた後、その先が続かなかった。私が黙っていると、男は続けて言った。

 

「何曜日かは?」

 

少し思考を巡らせてから、火曜と答えた。隣で男が、小さく意識あり。と呟く。この頭痛から解放されるならいっそ意識がなければ良かったと思う。

 

普段税金を納めている癖に、自分に税金が使われていると自覚することが苦手だ。公共交通機関や学校なんかは、税金なんてものの存在を知る前から当たり前にあったし、それを使うことに躊躇いなど全くない。麻痺しているのかもしれないが、その方が健全だと思える。しかし、なぜか救急車を呼んだり、生活保護を受けたりすることに対しては申し訳ないという感情が湧く。苦しめるだけ苦しまないでそんなものを利用するのは恥だ、罪だと誰かが叫ぶ。あとどのくらい苦しめば真っ当に社会に助けを求められるのだろうと考えてしまう。その時もせっかく来てくれた救急隊員の前で私は迷っていた。

 

(来て頂いたのに申し訳ないんですけど、やっぱり今日は大丈夫です。有難うございます、今日はこのまま寝て、明日病院が開く時間になったら一人で行きます。歩けます、ええ。忙しい中でお呼びしてしまって申し訳ございませんでした。)

 

救急隊員が夜間に空いている病院に連絡を取って、意識晴明という言葉を使うたびに、ああ、意識がない人のためにこの車はあったのかもしれない、だとしたら私は意識がある癖に助けなんて求めてしまって、居た堪れないな、情けないな、申し訳ないな。そう心の中で呟くも、脳の内側から金槌でノックされていくような痛みに私は屈し、何も言わなかった。

 

言われるがままに車に乗って、降りたのは怪しく光る救急・夜間という看板の前。辺りに人気はなく、あるのは無機質に反射する床、天井に這うカーテンリール、奥に進むにつれて暗緑に染まる通路、くたびれた観葉植物、せせこましく佇むモニター・書類・椅子に掛けられたブランケット、赤茶けたL字のソファ。鬱蒼と立つビルの隙間にひっそりと明かりが灯っている様子は、何もかもが失われた近未来の東京を映した映画を見ているようだった。

 

そこは二重扉になっており、暖房が効いた室内には案内されず、外と半分繋がった肌寒いロビーのソファに腰掛けるように言われた。不思議と家にいた時ほどの寒気は無く、震えは耐えられる程度だった。救急車を降りたのになぜか私が診察を受けるまでずっとそこに立っていた隊員の方に震えを見られるのが嫌で、緊張していたのかもしれないが変に辛そうにするのも嫌だったし、辛くないわけではないのも板挟みで嫌だった。

 

鼻の粘膜にこよりを何重にもしたようなものを差し込まれて咽せたり、喉を開けてまぬけな声を出すように指示されて、童心に帰った気持ちになっていた。しばらくしてから私と同世代くらいの目元がやつれた男性がやってきた。

 

「今日やったのはですね、とても簡易的な検査でして、ええ、まあ結果としてはどちらも陰性だったわけなんですけれども。まああくまでね、簡易的なので、また明日病院に行ってね、PCR受けてみてください。こっちが陰性でもあっちで陽性になることありますんでね、ええ。私が見る限りだとウイルス性の扁桃炎とかかなとも思いますが、解熱剤と頭痛薬出しておくのでね、それ帰ったら飲んで、それでまた明日病院行ってください。まあ2回も来たらなんでって思われるかもしれないんですけどね、ふふ。そういう時は、前のお医者さんに言われたからってね、一回言えばすんなり診てもらえますからね。ええ、まあこんなところですかね、何か質問ありますか。」

 

PCRってすぐ受けられますか。」

 

「それも含めて明日の朝病院で聞くと良いですよ。先生が判断することになると思いますけど、ね、先生が必要って仰って頂けたらすぐ受けられますから、そこはね、ええ、安心して頂いて。」

 

「わかりました。」

 

私はその後そろそろとやって来た受付のおじさんに言われるがまま一万円を渡した。夜間の救急外来では会計ができないので預かり金と言って多めのお金を前払いするそうだ。もちろん後日病院に行けばお釣りはちゃんと帰ってくる。

 

最後に、看護師の女性に小さな薬の袋を貰い、帰り道を教えてもらった。

 

「来た道をそのまま帰ればいいからね。ここはなんちゅうかホテル街やから。まあ、ラブホいうんかね、そこまっすぐ歩いて行けば駅だから。気をつけて、お大事に。」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思えば、感染するリスクはいくつかあった。2週間前に行った京都への旅行や、マッチングアプリでの出会い、会社での飲み会、友達とのカラオケ……思い出せばキリがない。

 

マスクはしていたが、生活に馴染みすぎて飛沫感染防止の為というよりは口周りに履く新しい下着のような感覚でしか無かった。

 

していないと、なぜか後ろめたいもの。効果があると言われているからそれを信じて身につけているもの。本当にそうなのだろうか。誰か強く影響力のある人が辞めましょうと一言言えば、案外みんなあっさり辞めてしまえるものなんじゃないのか。もうみんな、こんな煩わしいものを無くして元の生活に戻りたいと思っているんじゃないのか。

 

もちろん、病気にかかるリスクを天秤にかけ、今の風土が出来上がっているのだから私自身、はみ出そうとも思わない。困るのは少し窮屈なことと眼鏡が曇ることくらいで、我慢しようと思えばいくらでもできるから、こんなことで波風を立てたくはない。

 

でもいざ体調を崩してしまうと途端に心細くなる。私の体調管理や衛生観念に問題があったのではないか。私はまた何か、ミスを犯してしまったのだろうか。自問自答しながら歓楽街の夜の中を歩いていた。

 

私は今年の3月に彼氏と別れた。きっかけは彼氏の言った一言。

 

「好きになれるかもと思って付き合ったけど、好きになれなかった。」

 

じゃあ、もういいよ。と思った。しばらくは辛さを紛らわすために男と遊んだし、友人と元彼の悪口を言ったりした。でも、元彼を悪く言うたびに私の口からは、でも好きだったんだよな。と言う言葉がこぼれ、それを見かねた友人は、それさー、モラハラ男に捕まる典型的な依存する女じゃん。と笑って言った。私も、ほんとそうだよね。と釣られて笑った。

 

友達の前では心底楽しい笑顔が振りまける。会社では会社員の顔をした私が、純然たる記号として黙々と仕事をこなす。家に帰ればスマホを眺め、眠くなれば泥のように眠る。

 

この生活の何が不満なのか、実際のところよくわからない。貧乏だった頃に比べれば多少お金に困らなくなったし、家族とも(今は)仲がいい。充実してると言えばしているし、満たされていると言えば言える。幸せかと聞かれたら、幸せだと答える。

 

しかし、それでも時々、心に隙間風が吹くように不安を感じる。それがいつ、どうして、どのようにやってくるのか私にもわからない。ある日無性に淋しくなって、友達と電話をしたり、ゲームをしたり、出会いアプリに夢中になったりする。散財して16万のクレカ請求が来た時も、笑い話にして友達とケラケラ遊んだ。肝臓に染み込んでいくアルコールに気分を害しながら明け方の東京を歩いた。不意に立ち止まって、我に帰ることが怖かった。今を否定されることが嫌だった、自分の立ち位置を俯瞰したくなかった。

 

私は普通の生活を手に入れた、というより、手に入れるしかなかった。私には誰かをとびきりに感動させるような何かも、人生を変えさせるような経験も、与えることができなかった。ある種の夢を見させる職業に夢を見ていたからだ。そんな特別さを諦める代わりに、普通に幸せになってみせたかった。特別であることの対価は孤独。その対価を支払うことができなくて、社会に順応することを選んだ。毎月お金が振り込まれる人生しかイメージができなかったし、雇われずに生きるなんてどうしたら、何を食べたら、何を読んだらそういう風になれるのか、誰か教えて欲しかった。

 

こんな私のような人を、過去の私が見たらきっとこう思うだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

負け犬。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、知らない男に初めて種付けをした。コンドームをつけずに、男の直腸に何も遠慮をすることなく射精してみて思ったのは、ああ私は子孫を残したいんだなということだった。遺伝子にきっと刻まれているのだ、本能が蠢くのを感じる。初めてナマで挿れる男の体内は熱く、身体を動かすたびに痺れるような快楽に支配された。脳をジェル状にして注射器で搾り出すみたいに、悦で、蕩けそうで、輝いてて、もう全部どうでもよかった。今この瞬間が永遠ならどれほどよかったかと思う。こんな瞬間、人生を全部賭けてもそう味わえるものではないだろう。意味とか価値とか成長とか家庭とか、そういう不定で不確かで曖昧なおばけみたいな言葉たちに支配されることはなんて愚かなんだろうと、目眩を覚えながら快楽に身を委ねた。視界が暗転してクラクラする、呼吸が浅くなり瞼が重く閉じる。世界と世界をつなぐ糸のような存在があるとするなら、私は今その一本に接続している。頼り甲斐のある綱ではなく、今にもちぎれそうな程にほつれた、ぼろぼろの糸だ。太さが均一では無く、生き残っている部分と死にかけの部分、その両方が存在する糸だ。そのアンニュイさが心地いいのかもしれない。切ないのかもしれない。気が触れて、獣のようにまぐわいだけを求められたらどれだけ楽だろう。死にたいなどと微塵も思わない、生存本能だけの塊になれたらどれだけ尊いだろう。毎朝、昨日を生き延びられたことに感謝する生活を送ってみたらどれだけ苦しいだろう。人が死ぬ瞬間に立ち会ったらどれだけ寂しいだろう。

 

一つの輪郭が凹凸を生んで、人間という器に収まる。そのことが奇妙で怖くて泣いてしまいそうだった。肌の色は鮮やかな彩色を施され、知性あるものとしての輝きを受ける。幾多の屍の上に大地が成り立っていても、そんなこと露知らずと、凛とした表情で未来を見据える。そんな瞬間に、私は立ち会えたのだ。祝福だろう、名声だろう。ほっとした、胸を撫で下ろした、安堵した、心拍の音を聞いた。

 

ツーッと音がやわらかく裂けていき、私の元にぐでんと落ちた。約10回の痙攣の後、私はゆっくり、その男から性器を引き抜いた。

 

「ありがとう。」

 

その夜、一つの枕を共有しながらたわいもない話をして、その男は帰った。私の心臓はいつもよりほんの少し早いペースで脈を刻み、火照った身体は秋の夜空の下で少しずつ冷まされていった。家に着いた後、その男の付けていた香水の匂いが残るベッドに横たわり、余韻に浸っていた。

 

私は、その男が好きになっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その男から、つい最近LINEとアプリをブロックされた。理由はよくわからない。種付けされたことが嫌だったのかもしれないし、初めて会った日に体を重ねたことが嫌だったのかもしれない。そもそもヤリモクで、出会ってセックスした男の連絡先は消すタイプなのかもしれない。わからないが、私はそのことに少しだけ動揺して、それから、あっけなく諦められた。なんてことはない、ただの行きずりのワンナイト、ラブさえなかったのかもしれない。ただのライクで性交できる自分が別に嫌いじゃないし、性病に対するリスクを咎められたとて、知るかと返す。どうしようもない自分が好きとかそういう訳でもなく、単にしてみたかったのだ。種付けを。させてくれる男を求めていた。その男の顔が好きならあわよくば付き合いたいと思っていただけだ。

 

爛れた恋愛観だと人は馬鹿にするかもしれない。そこにあぐらを描くつもりもないし、開き直っているわけでもない。ただ、嘆いている。出会いアプリは塩水で、使えば使うほど渇いていく。最初からそういうものだと割り切れば便利なものだが、私は割り切ることなく、どこかできっと私の王子様を求めている。

 

その王子の顔が蛙だったとして、大きな目玉とぶつぶつとした粘膜を擦り付けてきたとして、私はきっと受け入れないだろう。こんなのは要らないと捨ててしまえる人間なのだろう。

 

だから、化膿していく恋愛観を、大きく口を開けた瘡蓋を思い切り剥がしてくれるような強烈な孤独を、羨んでいるのだと思う。孤独の持つきらめきを大事にしながら、同時に堕落した性交渉に身を埋めたいと何処かで思っている。

 

それは破滅じゃないかと、私の中の誰かが囁く。その通りだと、私の中の黒い感情も嗤う。

 

一度でいいから、捨て台詞を吐いて恋人を振ってみたい。一度でいいから、彼氏にピアスを開けてもらいたい。一度でいいから、二人で住む家のことを考えたい。一度でいいから、子供はいつ欲しい?って言われたい。一度でいいから、公衆トイレに二人で入ってキスしたい。一度でいいから、ディズニーランドでペアルックしてみたい。一度でいいから、終電間際の駅の改札で抱きしめられたい。一度でいいから、人生を変えた映画が一緒でありたい。一度でいいから、学校や会社で自然にあった人に告白されたい。一度でいいから、きみのぜんぶがすきだよっていわれたい。いちどでいいから

 

一度でいいから。